2012年10月29日月曜日

新潟で末娘の結婚式
遠方各地から子供達、親戚、娘友人が駈けつけて頂き、華やかに挙式を上げさせて頂き、感謝であります。相手の家族との新たなお付き合いも始り、多くの出会い、絆を大切にしたく、今後とも皆様の末永いお付き合い、幸せを祈念申し上げます。

2012年10月26日金曜日



 近くの東日本生涯学習センターで岡田幹彦さんの歴史偉人伝、ケネデイー大統領が尊敬した
上杉鷹山公の講演を拝聴した。
今回、2度目の同じ内容の講演だったが、講師の迫力有る涙しての熱弁に再度、感激涙した。
一昨年前に、米沢で記念館、お墓、儒学者・細井平洲を迎えた場所、対面した家屋も見学したが、
改めて感動が甦った。

現在の日本の世相(経済低迷、借金まみれ)、リーダー不在に重ね合わせると、日本再興のヒントがここに有ると確信した。
リーダーとは如何に国民、部下を我が子を無償の愛で見守る父母の姿勢がもっとも重要で、
国、会社、商店の発展は単なる物質的な繁栄では永続せず、民の資質(道徳)向上が伴わないと、永続しない。リーダー自ら範を示すことで、民は信頼し、民の自らの力で再建を実現する。
改革にはリーダーの強い意志、彼の言葉である『なせばなる なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり』の信念である。
下記は山形県のHPから抜粋した。

不景気の世に見る米沢藩主・上杉鷹山公の経済改革



岡田幹彦

昭和21年、北海道に生まれる。國學院大学中退。学生時よりわが国の歴史・人物について研究を続け、月刊「明日への選択」に数多くの人物伝を連載するとともに、全国各地で「歴史講座」「歴史講演会」を行っている。『歴史街道』『歴史通』などにも寄稿。平成21 ~ 22 年、産経新聞に「元気のでる歴史人物講座」を連載(103回)。現在、日本政策研究センター主任研究員。

1961年1月20日、ケネディー大統領が、第35代アメリカ大統領に就任時の記者会見場。
「大統領が、いま日本人で一番尊敬する人は、誰か」と日本人記者から質問された時だ。
即座に「それは上杉鷹山である」と応えたことに端を発する。

内村鑑三の「代表的日本人」。

西郷隆盛、上杉鷹山、中江藤樹、二宮尊徳、日蓮上人の5人の日本人を海外に紹介した本だ。元は英文でかかれたものである。この本をケネディー大統領は読んでいた。


上杉鷹山とは?
宝暦元年(1751)7月20日に、高鍋藩主・秋月佐種美(たねみつ)の2男として江戸屋敷で生まれた。
幼名は松三郎、または直松。16歳に元服して治憲(はるのり)と改名。
家督を息子に譲り、隠居後52歳に鷹山(ようざん)と名乗る。

旧暦の1769年8月23日に幸姫(よしひめ)と結婚し、10月27日に19歳の時に米沢へ入部する。
江戸の正室・幸姫に婿養子として嫁ぎ第9代の米沢藩主となったが、幸姫に至っては生まれつき
心身の発育が遅い障害者で30歳で病死。普通の生活を送れず2人の中には子は生まれなかった。鷹山はこの妻を回りの人が驚く程に優しく愛した。

米沢藩の方の側室にはお豊の方がいて、生まれた子・治広(はるひろ)には35歳で家督を譲り
第10代米沢藩主に継がせる。

鷹山公は米沢藩で反対勢力に押されながらも大倹約令を実行し、米沢の財政を立て直し
発展の基礎を築いた人物である。華美な生活は一切せず、質素倹約な生活を自ら行い
藩の手本として生涯続けた。故に鷹山『公』と付けられ呼ばれるのが一般的である。


米沢藩の借金地獄と財政圧迫の原因


  • 1.慶長6年(1601)の関ヶ原合戦後に、上杉家は会津120万石から米沢30万石に減石されしまった。

  • 2.上記記載により石高を大規模に減らされたが、上杉家の異常に多い家臣数が変わらなかった。寛政5年(1793)の分限帳によれば家臣数が5398人とある。会津藩時代の頃とほとんど変わらぬ人数だ。それで領土が、会津120万石から米沢30万石に減らされ今で言うと大赤字の出る会社なのに対し、社員をリストラにしなかったのだ。

  • 3.第3代・上杉綱勝が後継者を定めず急死し、吉良上野介の子が上杉の家督を継ぐ際に
     手続きの申請に不手際があり、米沢30万石から15万石に減石されてしまった。

  • 4.上杉鷹山が家督を継ぐ前の、歴代の藩主や財政担当者が、財政状況に対し無関心だった。

  • 5.上杉家は古い格式を重んじ、着る・食べる・乗る・習慣的な行事に費用は惜しまず金を使った。上杉鷹山の時代になると借金は雪達だるま式に増え、米沢藩の借金は約16~20万両(約120億円)ほどの借金に膨れ上がっていたと商人による記録がある。さらに高金利でお金を借りていたので、果たして120億円で済んでいたかどうかすら不明だ。当時の米沢藩にとって100~120億の資金は、米沢藩の総支出の約6年分にあたるものでいかに規模が大きすぎる借金だったかは容易に見てとれるものだ。江戸の商人からは信用を失い、金を借りるのが次第に困難になっていった。米沢藩では借金が返せず、古い木や桜などで借金を返すなどといった方法でしかお金を返せないほど貧しかった。当時は博奕死刑令(ギャンブル)などもあったほどだ。鷹山公が継いだ当時は、実際に自己破産書を書いて幕府に提出するかどうか迷っていた。



上杉鷹山公に見る財政回復の建て直し


経済とは政により民を救うことで有る

  • 1.人員の整理

  • 2.田畑の整備と、漆・桑・楮の百万本の栽培計画

  • 3.殖産興業に力を注いだ

  • 4.米織物の工場を開いた

  • 5.実用の学力と人材育成

  • 優秀な人材育成も必要だと儒学者・細井平洲(へいしゅう)を江戸から米沢に招き
    学問を指導して貰った。米沢藩にも儒学者はいたが、鷹山公は役に立たない学問を身に付けても
    意味が無いと考え、役に立つ学問が必要だと細井平洲先生に熱意による説得で頼んだようだ。

  • 6.上書箱の設置                                                 上書箱と呼ばれる意見を入れる箱を設置し、誰でも自由に意見を書くことを許した。毎月2回箱を開け、殿様自ら内容を眺め広く民意を把握し、良い意見は取り入れたのだ。さらに今までは公開しなかったが、藩の財政支出を領民に公開し共に財政の建て直しを考えたという訳だ。

  • 7.神仏に誓い願った


”伝国の辞”


 現在でも米沢市の市拝命時に伝承されてる

一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれなく候
国家は先祖から子孫に伝えるところの国家であって、自分で身勝手にしてはならないものです。

一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれなく候
人民は国家に属している人民であって、自分で勝手にしてはならないものです

一、国家人民のために立たる君にし君のために立たる国家人民にはこれなく候
国家と人民のために立てられている君主であって、君主のために立てられている国家や人民で
はありません

『受次(うけつぎ)て国の司(つかさ)の身となれば 忘るまじきは 民の父母』



2012年10月24日水曜日



 伊達市は3.11の震災後、放射能汚染濃度が高く、柱沢の子供達は外での活動を一日2時間と制限され、不自由な生活を強いられている。今回、新潟県見附市のご配慮で移動教室が実現でき、日頃ボランテイア支援させて頂いている、柱沢小学校の生徒達と移動教室の引率ボランテイアで大いに満喫し、子供達から勇気を頂いた。


柱沢小学校移動教室 IN 新潟県見附市新潟小学校

  
期間:平成24年10月16日~19日 3泊4日
参加者:5年生  8名(男3、女5)
6年生 19名(男9、女10)(内のびすく3名)総勢27名
移動教室の実現:仁志田伊達市長と久住見附市長が勉強会等で知り合いに成り、“NPO法人地域交流センター”と“森の贈り物研究会“と保原小学校建設設計に携わった長澤東洋大学教授と”海・海ハウス“のご協力、募金、他ご支援で実施された。教授、会の代表、ハウスの館長(料理長)と歓談したが、子供達への篤い想いを感じた。
         伊達市の9校から5,6年生約170人の児童参加で、7回に分かれ”海・海ハウス“に3泊4日の宿泊で、見附市内の7校の小学校で勉強、交流した。
        柱沢小学校は見附市でも一番古く伝統有る素晴らしい新潟小学校で勉強交流。
今回は“のびすく“3名の見守り、楽しく活動が出来るよう、お手伝いさせて頂いた。





































今回は毎日が感動の移動教室でした。初めて、”のびすくの”子供達から“一朗さん”と呼ばれた。
  やっと、心が通うことが出来たと感じた。今回は子供達と共に生活、勉強、運動、歌、食事、等、一緒に過ごし、一番感じたのは子供の無限の可能性のパワーです。先生方の日頃のいろいろなご指導が素晴らしい成果を出してることを感じました。同時に、精一杯の指導の後は、多くの問題は子供達を信じて、子供達に委ねると、彼ら独自の新しい方法で問題解決し、更なる発展が見られるのではないかと確信しました。基本的なレールは引くが、新たな延長の素晴らしいレールは子供達が必ず引くことが、出来ると思いました。

   このような感動の生活を体験出来ましたことを改めて感謝申し上げます。
  先生方の絵顔、健康、元気が、子供達の成長を大いに育むと信じてます。
  
  本当にありがとうございました。























2012年10月23日火曜日



「発見の10項目」

 今、日経新聞の”私の履歴書”で根岸さんが執筆されているが、素晴らしい内容なので、東京で開発に苦労してる息子にメールを出した。

 発見の遠因、原泉は”ニーズ”、”願望”が大切と有る。福島県は3.11大震災の地震、津浪、原発事故汚染、風評で古里から遠方へ避難して仮暮らしを余儀なくされておられる方が多くいる。
そのような方々が”ニーズ”、”願望”を見出し、明日への新たな発見に進むのはかなり困難と思われるが、先ごろ来日された、ダライ・ラマ法王の講演内容は勇気付けられる。現状から逃避するのでは無く、直視し、楽観的に未来を見据える心構えを示唆してる。

 「避難してる困難な状況で平和な心を作っていくにはどうしたらよいか、」という質問に対し、
 法王は、「知性を使い、現実を直視することで心の平和が得られる、」と答えた。
 「心が平和になれば、勇気と決断力という内面の力が増し、物事を前向きに、バランス良く捉えられるよ うになる、」と語った。

 「ここでは放射能の脅威が広がっていて、幸福感が得られない、 」と述べた。
 法王は言った――「そうしたケースでは、私はいつも、悲しみを分かち合います。私たちには人間的知性 が備わっているので、同じ人間社会に属する社会的な動物として、苦しみのなかにいる人々を助けるこ とができるのです。あなたは一人でない、全人類があなたに味方しているといつも考えるようにし  なさい。不幸は、恐怖と無力感から生まれるからです」。

 法王は、「この世の主だった問題は、十全な現実認識能力を持たない人間が人為的に作り出したものだ、と言った。「現実を認識せず、問題を一方向からだけ捉えようとすれば、問題に対処するアプローチは非現実的なものになります。問題に対処するには、それを全体的な観点から見直す必要があります」。

2010年のノーベル賞受賞者 根岸英一 博士

NHKスペシャル「2011 ニッポンの生きる道」

 「悲観的な議論からは何も生まれない。前を向いて建設的に考えるべきだ」という博士の前向きな言葉から、番組は始まる。

 そしてニッポンが今も保持する「強さ」を確認しながら、しかし世界経済が大変革期を迎える中で「安くていいモノをこつこつ作ってさえいれば報われる」というこれまでの発想を根本的に変える局面にきていることを指摘。

 現場の取材を織り交ぜながら、どんな転換をしていくべきか専門家が具体的に提言していく。
そして就職難に直面するなど未来を描けない若者にも、根岸博士が熱いメッセージを送る。



①もともとの”ニーズ”がある。
②あるいは”願望”がある。
③どちらか、あるいは両方が元となって、実現、あるいは解決のための

  ”作戦”を立てる。

その作戦を膨らませたり、ブラッシュアップしていく過程で、
④”知識”や

⑤”アイデア”や
⑥”判断”などが詰め込まれ、

⑦”意志力”や

⑧”不屈な行動力”がその推進エンジンとなる。
⑨そうやって発見へ向けての”探求が、系統立てられ、進化していく。”
⑩最後に、偶然性による”セレンディピティ(幸福な発見)”があって、
  初めてまたとない価値のある「発見」という形になる。




「もう一度人生をやり直せるならどうしますか?」

根岸博士は一瞬微笑んだ後でまるで若者を説得するかのような勢いで話し始めた。

「私の人生は幸せなものだった。失敗も多いがうまく行ったことだけを覚えている。こんな楽しいことは無い。


 発見が楽しい。発見に出会った私の研究室の学生は本当に体が震えていた。
それでお金をもらえる。好きなことで飯が食える。

 やり直せるなら、もう一度この人生をやりたい。私には食糧問題、資源問題、環境問題を一挙に解決する研究アイデアがある。その研究をやりたい。ぜひとももう一度この人生をやりたい。」


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2012年10月6日土曜日



先月、映画「あなたへ」を観た。

NHKで高倉健のドキュメンタリーを見て、役者魂に感動して、観に行った。

昨日のニュースで大滝秀治さんが87歳で逝去された。

最後の出演がこの映画だ。
「亡き妻の散骨のためにやってきた主人公(高倉)の願いを聞き入れ、漁船を出してくれる船頭の役でした。散骨が終わって港に引き上げてきたときの『久しぶりにきれいな海ば見た』というセリフが、特に印象に残っている。短いセリフのなかに、漁師一筋に歩んできた人生の哀歓をにじませるような、大滝さんでなければ出せない味があった」

合掌!


 映画「天地明察」を観た。

 中国駐在時は中国人の重要な生活習慣は旧暦(陰暦)で行われており、又、”風水”、”易”等が無意識に取り入れられ生活しており、日本の農村の生活習慣を思い出した。種蒔き時期は旧暦で行っている。天の動きに合せた時間軸。

 映画の中の台詞にも有ったが、「計算と実測」、所謂、理論物理学を証明するには、実測しかない。「計算と実測」との差は何から生ずるかの探究。天道は理論的に運行されていそうだが、偶然、偶発をどの様に予測するか?もし、その方法が見つからないと、先日、原子力安全委員会が、核燃料のゴミ「廃棄物」を何処に埋蔵するか?10万年の期間を予測して、安全な場所を探し、埋蔵する。そのような事が、果たして可能なのか?解が見つかるまでは、原発からの撤退しかない。



監督:滝田洋二郎 原作:冲方丁 出演者:岡田准一、宮崎あおい、他

「おくりびと」の滝田洋二郎監督最新作遂に完成!時代をひっくり返す大計画、それは日

本初の暦を作ること!?400年前、星を追い続けた江戸の天文学者・安井算哲の挑戦を描

く、感動のエンタテイメント!!原作は本屋大賞に選ばれた冲方丁のベストセラー小説。



http://www.kadokawa.co.jp/sp/200911-06/



今日、私達仲間の「絵と戯れる会」の会員が福島市美展に入賞されたので、展示会場へ鑑賞に行きました。

 「絵と戯れる会」は発足20数年を経過し、毎年、発表展示会を開催してる。”継続は力なり”で、とても大切な仲間だ。

 今回、入賞された方はご夫妻で、発足当時よりメンバーで、メンバーの中では一番の努力家で、当時は絵等は初めてだったが、現在、毎週のように、いろいろな絵画教室で勉強してる。

 絵画、他の芸術作品スポーツ等は直ぐに、簡単に上手になるのでは無く、日頃の努力の積み重ねしか、良い結果を生み出さない。頭では理解してるが、行動が伴わない。
今は亡き父がこの会を育て頂いたので、何時までも、素晴らしい会が継続するように、今後も会員の方との絆を大切にして行きたい。
先日、福島県国際交流協会の主催で、福島駅前のMAXビルのアオウゼで、ベトナム、フィリピン、中国、他の福島市在住の外国人グループが各国自慢を展示、披露した。

 私もメンバー参加してる日中文化交流会も民族衣裳、中国舞踏等を展示、演技した。
会員は日本人と結婚した中国人がかなり居ます。

 メンバーの中国人奥様とお話したら、彼女は大連から子供を連れて、来日し、日本人と結婚し、波江町に住んで居たが、今回の大震災で、現在は福島市内の仮設住宅に避難して住んでいる。

 彼女は片言の日本語しか話せないが、前向きな生活態度で、中国人の逞しさを改めて感じた。現在の日中間の領土問題、紛争による暴動、掠奪は私が中国駐在時の2005年の反日運動を超えた、単なる暴力である。
彼女も話してたが、反日よりは、国内貧富の格差への反動で、政府はガス抜きとして利用、国内への不満を反日へと転換してるのが、見え見えである。

 領土問題は、根に有るのが、過去の歴史への問いかけで、それへの誠実な対応が、真の両国の友好関係を取り戻す有一の方法で、感情の問題解決には、各自の草の根の地道な友好への努力しか解は無いと感じてる。