2011年10月11日火曜日

Tsunami Damaged Junior High, Addresses at a Graduation Ceremony (English...


ニュースウオッチ9 “涙が止まらなかった”広がる感動 15歳の答辞 「天を恨まず」
平成22年度の文部科学白書に、東日本大震災で被災したある中学3年生の卒業式での答辞が全文掲載されました。彼の言葉は全国の人々を勇気づけ、支援の輪が広がりつつあります。

本日は 未曾有の大震災の傷も 癒えないさなか 私たちのために 卒業式を挙行していただき ありがとうございます。
ちょうど 十日前の三月十二日。 春を思わせる暖かな日でした。

私たちは そのキラキラ光る日差しの中を 希望に胸を膨らませ、通いなれたこの学舎を 五十七名揃って 巣立つはずでした。

前日の十一日。 一足早く渡された、 思い出のたくさん詰まったアルバムを開き、 十数時間後の卒業式に   思いを馳せた友もいたことでしょう。

「東日本大震災」と名づけられる 天変地異が起こるとも知らずに・・・。 階上中学校といえば 「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、 十分な訓練もしていた 私たちでした。  

しかし、自然の猛威の前には、 人間の力は あまりにも無力で、 私たちから大切なものを 容赦なく奪っていきました。
  天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。  

つらくて、悔しくてたまりません。 時計の針は 十四時四十六分を指したままです。

でも、時は確実に流れています。 生かされた者として 顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、 正しく、たくましく生きていかなければなりません。  

命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。 しかし、 苦境にあっても、 天を恨まず、 運命に耐え、 助け合って生きていくことが、 これからの 私たちの使命です。 私たちは今、 それぞれの   新しい人生の一歩を踏み出します。

どこにいても、 何をしていようとも、 この地で、 仲間と共有した時を忘れず、 宝物として生きていきます。 後輩の皆さん、 階上中学校で過ごす 「あたりまえ」に思える日々や友達が、 いかに貴重なものかを考え、 いとおしんで過ごしてください。 先生方、 親身のご指導、ありがとうございました。

先生方が、 いかに私たちを思ってくださっていたか、 今になってよく分かります。  地域の皆さん、これまで様々な ご支援をいただき、ありがとうございました。

これからも よろしくお願いいたします。 お父さん、お母さん、家族の皆さん、 これから私たちが歩んでいく姿を 見守っていてください。 必ず、よき社会人になります。

私は、 この階上中学校の生徒で いられたことを誇りに思います。 最後に、 本当に、本当に、ありがとうございました。

平成二十三年三月二十二日 第六十四回卒業生代表  梶原 裕太


2011年10月10日月曜日

ガンバッペ福島 ”絆” 講演会  開催のご案内

 今回の未曾有の大震災で東北地方は大きな被害を受け、特に福島県は地震、津浪、原発事故放射線、風評被害等で毎日、不安な日々を暮らしております。

今回の講演会を通して、地元皆様の力強い絆を結束して、明るく元気な美しい福島を取り戻したいと思います。

                       


日時:平成23年10月22日(土) 14:00~16:00 

(受付は13:30から) 

会場:伊達市保原市民センター    伊達市保原町字宮下111

主催:保原モラロジー事務所 代表世話人 阿部澄子

                  伊達市保原町6丁目10 電話024-575-3186

            *公益財団法人モラロジー研究所の認可された事務所          

後援:伊達市教育委員会   

講演:講師  公益財団法人モラロジー研究所   社会教育講師   横尾昭男

(有)ことぶきや漬物設立。(有)壽屋寿香蔵設立。

社団法人東根市観光物産協会会長

演奏:保原高等学校 吹奏楽部、合唱部

展示:美術部、書道部

参加費:無料


プログラム

14:00~14:05  開会挨拶

14:05~14:10  来賓挨拶     

14:10~15:00  講演 「人間の絆」 横尾昭男

15:00~15:15  休憩、”絆”ふれあいタイム、生徒作品の鑑賞

15:15~15:55  演奏、合唱 保原高校吹奏楽部、合唱部

15:55~16:00  花束贈呈、閉会挨拶


2011年10月8日土曜日

 学生時代に読んだ「夜と霧」を思い出した。
3.11震災後、毎日の生き方を見つめ直してるが、そのヒントがここにあった。


ナチスの強制収容所を生き抜いたことで知られる
精神科医、V・E・フランクル博士。

第二次世界大戦中、ユダヤ人であるが為にナチスによって強制収容所に送られた。この体験をもとに著した『夜と霧』は、日本語を含め17カ国語に翻訳され、60年以上に渡って読み継がれている。発行部数は、(20世紀内の)英語版だけでも累計900万部に及び、1991年のアメリカ国会図書館の調査で「私の人生に最も影響を与えた本」のベストテンに入ったという[1]。また、読売新聞による「読者の選ぶ21世紀に伝えるあの一冊」のアンケート調査で、翻訳ドキュメント部門第3位となったとされる。

“生きていることにもうなんの期待がもてない”
こんな言葉にたいして、いったいどう応えたらいいのだろう。
ここで必要なのは、
生きる意味についての問いを180度方向転換することだ。
“わたしたちが生きることから何を期待するか”
ではなく、むしろひたすら、
“生きることがわたしたちから何を期待しているのかが問題なのだ”
ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。



   その直弟子である永田勝太郎氏。
 死の淵にいた永田氏を救ったフランクル博士の言葉。


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        「人生はあなたに絶望していない」
       
       永田勝太郎(財団法人 国際全人医療研究所理事長)
  

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これは十三年前のことですが、ある時大病を患って、
突然歩けなくなってしまったんです。

何だろうと思っているうちに立つことも
できなくなって寝たきりになり、
ベッドのそばにあるトイレにすら
自分の力では行くことができなくなりました。

薬の副作用のため、末梢から筋肉が萎縮し、
力が抜けていくという病気でした。


そういう状況の中で、頭の中では何を考えていたかというと、
人間は死を受容できるのかということでした。

自分がまもなく確実に死ぬと思っていましたから、
毎日毎日天井を見ながらそのことばかりを考え続けました。

ただその時に、あの世はあるかということは思わなかった。
自分がもし万が一生きられたらって、いつも思っていましたね。

つまり、死んだらどうなるかということよりも、
生き延びることができたら、自分の人生を
何に使おうかと考えたわけです。

だから僕も楽観的だったと思うんですが、
散々悶々と考えた挙げ句に出た結論は、
俺は死を受容できないということでした。


受け入れられないから、もし死んだら化けて出るだろうと(笑)。
だったら生きるしかないだろうと思うようになったんですね。

ところが病状は日に日に悪化し、
ペン一本すら重たくて持てない。

眠るたびに酷い悪夢に襲われ、全身汗だくになって目が覚める。

僕が倒れたのはフランクル先生が亡くなった
翌年の一九九八年だったんですが、
僕はとうとう彼の奥さんにこんな手紙を書きました。


「エリーさん、さようなら。
 僕はいま死ぬような大病を患っているんだ。

 もう二度とウィーンの街を歩き回ることもないだろう。
 これから先生の元へ行きますよ」。


 そしたらエリーさん、慌てて返事をくれましてね。
 
 
 「あなたがそんな病気でいるなんて、とても信じられない。
 
  私は医者ではないから、
  あなたに何もしてあげることはできない。
 
  けれども生前、ヴィクトールが
  私にいつも言っていた言葉をあなたに贈ろう」。


この言葉が僕を蘇らせてくれたんですね。
 



 「人間誰しもアウシュビッツ(苦悩)を持っている。



  しかしあなたが人生に絶望しても、



  人生はあなたに絶望していない。


  
  あなたを待っている誰かや何かがある限り、



  あなたは生き延びることができるし、自己実現できる」。




この手紙を僕は何百回も読み返しました。
そうして考えたのは、いまの自分にとっての生きる意味とは
何だろうということでした。

そして考え続けた結果、
「あなたを待っている誰かや何か」の焦点は
私にとっては医学教育であり、
生きる意味は探せばちゃんとあるのだと感じたんです。

それから私はよし、と気合いを入れ直してリハビリに専心し、
毎日鍼治療も受けました。

さらに漢方薬や温泉療法なども行って、
二年後には奇跡的に職場復帰まで果たすことができたんです。


(エリーさんの)あの言葉がなかったら
僕はいまここにいませんよ。

医療もまさに心一つの置きどころで、
患者の側が自ら治ろうという気概を持たなければ
何も起こらない。

僕はこれを傘に例えているんですが、
傘には布と芯の部分がある。
布の部分は医療者や家族であり、
芯の部分が患者さん本人ですよ。

これがなければ、傘の用をなさないですよね。
僕はこれをアンブレラ理論と呼んでいますが、
治療には絶対に必要なものと考えています。

2011年10月6日木曜日

人はその人を失った時、その人の偉大さに初めて気づかされる。
恥ずかしながら、彼のこのスピーチの存在を初めて知り、じっくり見たが、

「目前の失敗、苦境は目前の事象にとらわれず、恩寵的試練と受け止め、明日への糧とする。

この強い発露は、常に生と死を真剣に見つめ、明日の命は解らない、生かされている今を

自分の信念に従い、己を信じ、愛し、誠実に最大限の努力を持って生きて行く」

素晴らしいメッセージだ。

悩んだ時、目的を見失成った時、何度も見たいメッセージだ。

2011年9月21日水曜日

昨年に続き、群馬県の谷川温泉、軽井沢脇の霧積温泉に仲間数名と3泊の研修、温泉を楽しんだ。

 学生時代の友人と40数年振りに再会し、思い出話しをした。又、両親がお世話に成った夫妻とも久しぶりにお会いした。

 谷川岳を望む露天風呂で毎日、数回の入浴で日頃の家庭菜園の鍬振り、ゴルフのクラブ振りでの肩、膝の痛みも少し和らいだようだ。
毎晩、宴会で少し飲みすぎたかな?

渓流から遠くに、雲の切れ間に谷川岳の姿が素晴らしい。
















霧積温泉は秘湯で、途中までは私有車で行けるが、国有林の為、途中から旅館の車が迎えに来た。
非常に狭く険しい道で、古くは馬で荷物を運びをしていて、崖から馬が落ちたことも有ったそうだ。

土砂災害で、10数件あった、旅館は1軒のみが残ったそうだ。
 昭和初期は車が無い為、徒歩で、客のもてなしに、4時間かけて食材を運んだそうだ。


当時のお話を81歳の旅館のご主人からお聞きした。


温泉近くの我が国、最大のレンガ作りアーチ橋を渡る列車は今は廃止されていた。


久々の温泉三昧の旅だった。




2011年9月1日木曜日

映画『ライフ -いのちをつなぐ物語-』の全て


 「ディープ・ブルー」「アース」の英BBC製作によるネイチャードキュメンタリー。撮影日数3000日、総製作費35億円を投じ、地球の全大陸、陸・海・空に住む多種多様の生物がそれぞれの命をつないでいく様子を、最新のカメラシステムを用いて動物と同じ目線で撮影。生態の細部や決定的な瞬間をとらえた。2011年に設立50周年を迎えたWWFが製作協力。日本語吹き替え版は松本幸四郎、松たか子が親子共演でナレーションを担当し、人気バンド「Mr.Children」が主題歌を提供した。
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 妻とシネマックスちはら台で観た。先にオーシャンズを観たが、スケールの大きさには負けるが、カメラアングルが迫力が有り、シャッターチャンスを待つのに、相当な時間が掛ったと、予測出来る描写だった。

 テレビの予告篇CMで殆どの場面を観ていたので、余り大きな感動が無かった。宣伝は如何にあるべきかを、考えさせられた。又、忠実な描写のみの映像では、現場音、バック音楽が重要で有るが、安易に作成されてる感が有り、感動を与えない。人気スターのナレーションだが、シナオリが悪く、耳障りな印象で有る。詩歌のような端的なシンプルな解説が欲しかった。いのちをつなぐのテーマは発散場面が多く、後付けの感じが否めなかった。

 最近の映画の音楽で、強く印象に残ったのは「黒い雨」武満徹、
先日の「神様のカルテ」辻井伸行は素晴らしかった。

 テーマーを良く吟味して、シナリオ作成、ドキュメンタリー映像をどの様に編集して演出表現するかは、かなり難しそうで、通常の役者表現の物語映画とは異なる世界のようだ。

 


 千葉に墓参、我が家での会食で子供達、妹達家族が集合した。愛犬2頭のやまとミントも大喜び。福島から持参した桃、家庭菜園の野菜が食卓を賑わした。

 話題は、やはり、福島の放射能汚染についてだ。ここでは穏やかな時間がゆっくりと過ぎて行く。