2011年5月26日木曜日



 今日から「絵と戯れる会」の絵画展が福島市のパセオ通りの福信ギャラリーで開催しました。私の仲間の今回は11名の作品発表で、平成元年に発足し、今年は17回目の発表会である。

 故人と成った私の父の遺作も展示した。父の言葉の”継続は力なり”を守り、私が十余年の中国駐在時代も毎年、南京で描いた作品を日本に持ち帰り、出品した。昨年の発表会の期間中に逝去された親友の遺作も展示した。

 会の名のごとく、「絵と戯れる会」であり、絵を酒の肴として楽しく交流を深める気楽な会である。福島で発足したが、長い年月の間に会員の数人は福島を離れての参加で有る。

 作品は油彩、水彩、水墨、アクリル、パステル、鉛筆、クロッキー、デッサン、版画、陶器、オブジェ、等、かって気ままの画材で、自由奔放な作品の集まりで、今日、取材に来た福島民友新聞社の記者は、他の絵画展とは異なるユニークな個性溢れる展示品に驚いていた。

 私の友人が早々に会場に観に来て頂き、楽しく歓談した。土曜日は東京の会員が来福予定で、皆様と久しぶりの会食が楽しみだ。

2011年5月22日日曜日

伊達市長の英断

 政府は毎日のように原発事故に関して、新たな問題を報道し、又、責任の無い指示が多く発表されており、福島県民を不安に落としいれてる。今回の伊達市長の判断は称賛に値する。

伊達市政だより 災害対策号 【第10号】

平成23年5月19日発行

 国は、4月 11 日、原発から 20 キロ以遠で年間積算線量が 20 ミリシーベルトに達する恐れのある区域を「計画的避難区域」に設定し、22 日、飯舘村全域、川俣町山木屋地区などが指定されましたが、この際、伊達市についても該当する地域があることを認めつつも、伊達市のごく一部であることから区域指定の検討から除いた、との官房長官発言がありました。

 「計画的避難区域」に指定されると国の責任でさまざ
まな支援策が受けられますが、住民全員の区域外移住が義務付けられ、かつ、一時立ち入りも基本的には認められませんので、農業はもとより、家畜の世話や工場経営もできなくなります。

 したがって、国により非常に手厚く対処してもらえる半面、これまでの日常生活のほとんどを一時的に捨てざるを得ないのが実態で、市民生活には甚大な影響があると考えられます。

 本市の当該地区とは、霊山町石田宝司沢(こどもの村付近)地区であり、本市として
はその直後から放射線量の測定や市営住宅の確保など対
策を検討してきました。
その結果、国から「計画的避難区域」の指定を受けるよりは、50 戸 160 人の地域で
あり、「計画的避難区域」に準じた本市単独の対応によって、地域の実情に応じた対策
を講ずる方が住民皆さんにとってベターである、との結論に達したところであります。

 このため、14 日にりょうぜん紅彩館において当該地区の説明会を開催し、一時的に避難を希望される方に対して市営住宅の提供をするなどの支援策について説明を行いました。今後、世帯ごとに要望などを聞かせていただいて、個別具体的に対応してまいりたいと思います。

 なお、このことについては、県からも支援をするとの好意的な連絡を受けておりますので、ご安心ください。

伊達市長 仁志田 昇司

2011年5月17日火曜日
















 開催するか思い悩んだが、仲間、お客様が元気がでるこを期待して開催する、今月下旬の「絵と戯れる会」 発表作品がやっと悪戦苦闘の末、出来上がり、見れば又、修正したくなり、切りがないので、額に収めた。
 今回は原発の放射能をさえぎって、立ちはだかり、我が町を守ってる力強い頼りになる霊山をアクリルで描いた。山の向こう、上空には悪魔の紅い汚染物質を抱いた雲が漂ってる。
 もう一点はクロッキーで放射能を弾き飛ばす、たくましいヒップを描いた。
更に一点は父の遺作のデッツサン小熊を出品する。父の優しい人柄が表現されている。
 避難者の方々が心和まされますように希望します。多数の皆様のご来場をお待ちします。

 今朝は愛犬散歩の後、風評にめげず、西瓜、南瓜、茄子、ブロッコリーの苗を家庭菜園に植え付けた。じゃが芋が元気良く成って来たので土寄せした。玉葱を移植、アスパラを収獲した。明日は節電対策のゴーヤーを窓側にプランタンに種蒔く予定、ツルが生い茂るのが楽しみだ。又、胡瓜、トウモロコシ、人参、大根、カブの種を蒔く予定だ。

2011年5月14日土曜日

2011年 05月 02日
東大病院で放射線治療を担当するチームです。医師の他、原子力工学、理論物理、医学物理の専門家がスクラムを組んで、今回の原発事故に関して正しい医学的知識を提供していきます。 Twitter:team_nakagawa
by teamnakagawa
 飯館村は私の住む伊達市保原町から車で30分の隣町に有る。他人ごとでない、わが身の問題として何時も注視してる。政府の一律指示は各個人別の人間の尊厳を無視した神への冒瀆で有る。個人、孤立では生きられない、絆で生かされてる人間の生存の基本を念頭においた発言、行動を忘れてはならない。

福島訪問──その1 飯舘村の特別養護老人ホーム
先月末、チームのメンバー5名(医師3名、物理士2名)で、福島県を訪問しました。福島市、南相馬市などの、幼稚園、小学校、中学校で、校庭などの空間放射線量の測定と土壌の採取を行いました。また、文部科学省のモニターカーによる各地の測定結果が正しいかどうかのダブルチェックも行いました。詳しい測定結果は、順次、ブログで紹介していきます。

飯舘村にも入って、住民の皆さんのお気持ちを伺い、菅野村長と面談もさせて頂きました。東京では見えなかった多くのことに気づかされました。とくに、菅野村長との面談や、特別養護老人ホーム(いいたてホーム)訪問などを通して、現場が直面する問題を知ることができました。今回は、とくに、飯舘村の特別養護老人ホームについて、当チームの見解をご紹介します。


福島県飯舘村は、福島第一原発事故の影響で「計画的避難区域」に指定され、5月下旬をめどに避難を求められています。国から村民の避難を求められていることに対して、菅野村長は、「国に対して村民一人ひとりの実情に合った、きめ細かく、柔軟性のある対応」を求めています。

村長との面談に先立って、同村草野地区で、数名の方からもお気持ちを伺いましたが、たとえば、同じ農家でも、家畜がいるかどうかで、避難に対する感覚は違いました。「家畜は家族の一員。避難しても、毎日世話が必要」、「なじみのない土地に行けば、人間も大変だが、牛も大変。出る乳の量も半分になってしまう」といった声が印象的でした。

当方からも、「妊婦、赤ちゃんについては避難することもやむをえないが、放射線積算推定量を見る限り、成人についての発がんリスクは、野菜不足や塩分のとりすぎより低く、極端に恐れる必要はないと思います。それより避難生活などによるストレスなどの方が心配です」などと見解を述べました。

実際、致死性の発がんの危険は、100ミリシーベルトで、最大1.05倍と見積もられますが、これは野菜不足によってがんになりやすくなるリスクとほぼ同程度です。塩分とりすぎは、約200ミリシーベルトの被ばくに相当しますし、運動不足や肥満は、400ミリシーベルト程度の被ばくと同じレベルの発がんリスクです。毎日3合お酒を飲んだり、タバコを吸ったりすれば、発がんのリスクは一気に1.6倍となりますが、放射線被ばくで言えば、2,000ミリシーベルト!に相当します。

菅野村長は、村民に向けたがんの啓発の必要性にも理解を示され、今後、村民向けに、当チームの協力のもと、放射線被ばく問題と健康に関する講演会などを開催し、「村民の不安を軽減したい」と応じてくださいました。


(放射線被ばく(積算値)がある量を超えた場合、憂慮されるのが「発がん率の増大」です。私たち「東大病院放射線治療チーム」が「がん啓発」のための講演会等のご提案をしたのは、そもそもがんという病気について、いまだ日本では十分に理解されていない、と考えるからです。今回は割愛せざるを得ませんが、「がんの基本的な知識」を身につけることが、がん大国日本では必須だと考えています。機会があれば、このBlogでもご説明したいと思います。)

菅野村長は、また、村民同様に避難を求められている特別養護老人ホームの入居者らについて、「ばらばらに避難して体育館などの避難所で暮らすより、ホーム施設内に留まっていた方が、本人たちにとっていいのではないか」と語ってくださいました。この言葉を受けて、3名の医師で、特別養護老人ホーム「いいたてホーム」を訪問しました。

突然の訪問でしたが、三瓶政美施設長に詳しくご案内、ご説明をいただきました。ホームは、村役場にすぐ隣接していますが、これまで、中央からの政治家やメディアの訪問は皆無だそうです。(4月29日の当チーム訪問時点)


入居者は、現在107名、定員は入居120名・ショートステイ10名です。職員は定員130のところ現在110名勤務。避難の恐れがなければ、在宅の方も受け入れていけますが、いまのところ受け入れができない状況です。

入居者の平均年齢は約80歳、100歳以上の方もいます。ユニット型のケアを実施しており、ユニット内(10名程度)には家族のような絆ができています。入居者のうち、車イスが60名、寝たきりが30人(経管栄養:15人)で、終末期の利用者も2~3名おられました。震災後も3名が施設内で、家族、看護職員・介護職員に看取られ死亡しています。

胎児、小児の放射線感受性が高いのと反対に、高齢者の場合は、同じ量の放射線被ばくでも、発がんのリスクは高くなりません。被ばくから、発がんまでに多くの場合、10年以上の年月がかかるからです。医師の立場からも、80歳以上の高齢者の避難はナンセンスと言えます。

施設内の放射線量は、どこも1マイクロシーベルト/時以内(鉄筋コンクリート作り)。入居者は屋外には出ることができないため、年間被ばくとしても、10ミリシーベルト以下です。家族といってもよい入居者がばらばらになり、慣れない他の施設へ行って、ストレスを抱えて生活するデメリットは大きく、避難を進めることは“正当化”されないと思います。

施設が存続した場合、施設職員の被ばくが問題になりますが、三瓶所長や相談員の方が、24時間測定した「個人被ばく線量」から推定される年間被ばく量は、7.5~10ミリシーベルト程度で、やはり容認できるレベルです。

住民の個別性を重視した避難を考える上で、象徴的なケースと言えましょう。柔軟な対応を求めたいと思います。

 今回、久しぶりに千葉宅でゆっくりと過ごした。今朝は昨晩来た息子、妻、愛犬と散歩途中にコヒーサービスの出来たてのパン屋で美味しいパンを食べた。犬達はお店サービスのパンの耳を喜んで食べていた。


 今日、福島に妻、愛犬2頭と東北高速道路を走り自宅に向かう。5月の連休は毎日のように入れ替わりで、東京の子供達、妹家族、妻の姉弟が訪ねて来て、犬達は大喜びだった。
客が来ない日は車で30分程の大型ショッピングモールで買物、ゴルフ打ち放しで汗をかいた。あっと言う間の2週間だった。
 連休明けは2日に分けて東京の友人達(仕事関係、F社勤務時代の同期、同寮、中国南京時代の友人)の4グループと昼食、夕食で情報交換、昔話に杯を傾けながら話に花が咲いた。現役もおり、ビジネス環境の厳しさ、震災後の各社、各自の取り組みを話し合った。私の人的ネットワークで今後とも彼らへの支援、彼らかの支援等で交流関係を発展させて行くつもりだ。

 昼食後の夕食までの待ち時間は紀伊国屋書店で探してた本を求め、又、何時も行ってる御徒町将棋センターで頭の体操、何時もの新宿将棋センターには今回は行けなかった。又、南京時代の東京で働く中国人友人と談話した。

 福島に戻ったら、直ぐに家庭菜園のじゃが芋の発芽、豆類の様子を見に行くつもりだ。又、今月末の「絵と戯れる会」の発表会出品作品の
仕上げに取り組む。又、地域活動の幹事をしてる総会への出席、今回、息子の静岡浜松の友人のプロの演奏家、レストラン経営者の福島避難所での演奏会、炊き出しボランテイア実現支援の準備等、忙しく成る。

2011年5月12日木曜日


福島原発事故対応、被災地、避難者への復興、ボランテイア対応で、多くの批判、評論が出てますが、本当の対応は自分の目で確認した上での、相手本位の対応が必要で、机上の空論と成らぬよう、自己を戒める文章を見つけました。


倒産の危機に瀕していたWOWOWを短期間で再建した
   松下電器産業元副社長・佐久間昇二氏

       「君はそれ、自分で確かめたんか?」
       

 私が松下幸之助という偉大な師とお会いしたのは、
 二十八歳の時でした。
 組合活動をしながら、大阪本社の企画本部調査部で
 仕事をしていた頃です。
 ある時、幸之助さんが新聞広告に出ていた
 某ミシン会社の貸借対照表を見て、
 現金を非常に多く保有していることに驚かれ
 その理由を調べるようにと指示がありました。
 調査をしたところ、その会社では、
 消費者が購入したいミシンを積み立てで販売する
 「予約販売制度」を取っていたことが分かりました。
 私はその報告書を上司に渡して
 用件を済ませたつもりでいましたが、
 幸之助さんは私に直接説明に来るように言われました。
 当時、会長だった幸之助さんは、
 松下正治社長と高橋荒太郎副社長とで、
 重要事項を決済する三役会議を開いておられました。
 まだ入社四年目だった私が恐る恐る部屋に入ってみると、
 幸之助さんが非常に話しやすい雰囲気を
 湛えておられることにまず驚きました。
 幸之助さんはその予約制度を
 松下でもやりたいと考えておられましたが、
 私は一通りの報告をした後で

 「やるべきではありません」
 と結論を述べました。
 幸之助さんはじっと話を聞いておられましたが
 「君はそれ、自分で確かめたんか?」
 と言われました。
 つまり、調査会社にやらせたのではなく、
 自分の目と耳と足で確かめたのかと。
 私が「全部自分で確認しております」
 と答えたところ、
 「そうか、それは結構や。
  ところで君、そのミシン会社は一流やろ。
  その一流会社がやってることを、
  うちがやったらなぜあかんのや」
 とおっしゃいました。私は
 「一流会社がやっているからいいと言うのではありません。
  この制度を採用することが一流会社として
  本当にふさわしいものかどうかで判断してください」
 と述べました。すると幸之助さんは
 「よし、分かった。やめとこう」
 と即断されたのです。
 驚いたのはこちらです。
 普通なら「後は我々で預かるから」と
 いうふうになるものでしょう。
 幸之助さんがそうでなかったのは、
 実際に現場を見てきた者に対する信頼と、
 もう一つは経営者としての「勘」ではないかと思います。
 その予約制度は顧客との契約を巡るトラブルが多く、
 新聞沙汰になっていたことがよくありました。
 松下としては消費者に対して
 少しでもご迷惑を掛けるようなことはやるべきではないし、
 ミシンの普及が進んで価格が下がれば
 その制度自体が成り立たなくなる。
 長い目で見れば決してよい制度ではないということを感じられ、
 さっと決断を下されたのでしょう。
 その時につくづく感じたのは、
 私が自分で現場を歩き、自分で確かめて結論を出したのが、
 信用を得る根拠になったということです。
 現場には宝物が落ちているといわれますが、
 絶えず現場を確かめることの大切さをこの時、
 身を持って知りました。
 また当時から私の根本にあったのは、
 社長や上司を間違わせたくない、
 会社として正しい判断をしていただきたいという思いでした。
 自分が提言することは会社にとって正しい、
 と自信を持って言えるかどうか。
 そうでなければ本当の意味で
 仕事をしているとは言えないでしょう。

2011年5月9日月曜日

孫 正義 講演 「震災復興に向けて」

東日本ソーラーベルト構想

みんなでがんばろう日本 財団法人設立準備中

  息子から紹介されて見たが、孫正義の提言は解り易い。大前研一の解説に比べ、より、実践的、実行を伴う具体的提案だ。多くの評論家は発言に対して責任、リスクを取らない、いわゆる口先の現状評価の評論で終わっており、自ら具体的に行動しない為、現状は何も改善されない。助かる命が失われて行く。