2011年8月17日水曜日



「人は生きてきたように死んでいく」
             
            柏木哲夫(金城学院大学学長)
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(これまでに二千五百名もの方を看取られてきて、
 何か発見されたことはありますか? の質問に)

 
 人は生きてきたように死んでいくということです。
 これは私の実感ですね。


 ですから、しっかり生きてきた人は
 しっかり亡くなっていかれますし、

 表現はおかしいけれども

 ベタベタ生きてきた人はベタベタ亡くなっていく。
 
 それから、周りに感謝をして生きてこられた人は、
 我々にも感謝をして亡くなられるし、

 不平ばかり言って生きてきた人は

 不平ばかり言って亡くなっていくんですね。

 
 このことは、よき死を迎えるためには、
 よき生を生きなければいけない、ということを
 教えてくれていると思うのです。

 では、よき生というのはいったい何か。
 
 そこには個人の主観がだいぶ入ると思うんです。
 
 Aさんにとってよき生とはこうだし、
 Bさんにとってよき生とはこうだというふうに、
 人によって皆違う。
 
 ただ、二千五百名の看取りの中で私が感じることは、
 「やはり前向きな人生ということ、」
 「それから周りに感謝できるということ。」

 
 その二つに集約されるような気がして仕方がないんです。

 

 物事には必ずプラスとマイナスがありますが、
 物事のプラス面をしっかり見た生き方をしてこられた方々。
 そういう方々の生は、やっぱり前向きで
 よき生なんだろうと思うんです。

 それから、感謝というのはとても重要な
 キーワードだと思うんです。
 
 家族に対して、周りの人たちに対して、
 

最後に「ありがとう」と言いながら、
 そして自分も相手からありがとうと
 言ってもらいながら生を全うできるのも、
 よき生だと思うんです。

 そういう生を全うする人を、
 私は人生の実力者と呼んでいるのです。

2011年8月14日日曜日

正論特別号CD版 -昭和史原点の目撃者 迫水久常の証言-

明日は終戦記念日

現在の日本が有るのは天皇のご聖断だった。
先輩からお借りしたCD
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正論特別号CD版 -昭和史原点の目撃者 迫水久常の証言-
1.終戦詔書(玉音放送)

2.終戦詔書(奉読)

3.内閣告諭(奉読)

4.終戦御前会議(迫水久常証言)

5.阿南陸軍大臣の心境(迫水久常証言)

6.二・二六事件(迫水久常証言)

迫水 久常迫水久常
1902〜77年。東京生まれ。東京帝国大学法学部を卒業し、大蔵省に入る。その後、二・二六事件当時の岡田内閣の首相秘書官、日本の終戦を決めた鈴木内閣の内閣書記官長を務める。戦後は公職追放のあと衆議院議員、転じて参議院議員(全国区)になり、池田内閣の経済企画庁長官、郵政大臣を歴任した。

戦後日本の出発点がここに

平成の世も23年となり、「昭和は遠くなりにけり」との感がますます強くなってきました。気がかりなのは日本人が急速に国家意識を失い始めていることです。父祖たちが血と汗と涙を流してこの国を守り抜き、次の世代に手渡してきたことを私たちは忘却しているように思えてなりません。この度、二・二六事件の只中で機転をきかせて、岳父である岡田啓介首相を無事に首相官邸から救出し、さらには終戦を決めた御前会議に内閣書記官長として陪席 し、その一部始終を目撃した迫水久常氏の証言をCDに収録。当事者以外には語りえない貴重な証言を、この機会にひとりでも多くの日本人に聞いてもらいたいと考えております。



動画 終戦御前会議 

http://www.nicovideo.jp/watch/sm14440260


大東亜戦争末期、
天皇陛下が御聖断を下さなかったら、我が国はどうなっていたでしょうか?

(写真:東京)
イメージ 1

8月6日、広島に人類史上初めて原爆が投下され、
9日には長崎に2発目の原爆が投下されました。
さらに9日には日ソ不可侵条約を一方的に破ってソ連軍が満州や樺太に侵入してきました。
また、沖縄を既に収めていた連合国軍は10月にも南九州に上陸する計画でした。
そして11月には関東地方に上陸をする計画も立てられていました。
さらにソ連軍は北海道に侵攻し占領していたでしょう・・・。

イメージ 2

このような中、軍部は徹底抗戦を主張しました。
天皇陛下がここで終戦を決断しなければ軍部は本土決戦に臨んだでしょう。
国民は一億玉砕という軍部とマスコミの扇動に操られていました。
その戦いはさらに数百万の犠牲者を出したかもしれません。
日本は破壊され、連合国軍によって分割占領されて、
日本自体がなくなっていたかもしれません。

・・・・・・

昭和20年8月9日、御前会議。
会議にはいろんな意見が出され、ついに翌8月10日の午前2時。
最後に鈴木貫太郎 総理大臣が天皇陛下に
「陛下の思召しをうかがわせて下さいませ」とお願い申し上げました。


イメージ 3

陛下は
「ほかに別段意見の発言がなければ私の考えを述べる。

反対論の意見はそれぞれよく聞いたが、私の考えはこの前申したことに変りはない。
私は世界の現状と国内の事情とを十分検討した結果、
これ以上戦争を続けることは無理だと考える。

国体問題についていろいろ疑義があるとのことであるが、
私はこの回答文の文意を通じて先方は相当好意を持っているものと解釈する。
先方の態度に一抹の不安があるというのも一応はもっともだが私はそう疑いたくない。
要は我が国民全体の信念と覚悟の問題であると思うから、
この際先方の申し入れを受諾してよろしいと考える。どうか皆もそう考えて貰いたい。


さらに陸海軍の将兵にとって武装の解除なり保障占領というようなことは
まことに堪え難いことで、その心持は私にはよくわかる。
しかし自分はいかになろうとも万民の生命を助けたい。
この上戦争を続けては結局我が国がまったく焦土となり、
万民にこれ以上苦悩を嘗めさせることは私としてはじつに忍び難い。
祖宗の霊にお応えできない。


和平の手段によるとしても、素より先方のやり方に
全幅の信頼をおき難いのは当然であるが、
日本がまったく無くなるという結果にくらべて、
少しでも種子が残りさえすればさらにまた復興という光明も考えられる。


私は明治大帝が涙をのんで思いきられたる三国干渉当時の御苦衷をしのび、
この際堪え難きを耐え、忍び難きを忍び、一致協力将来の回復に立ち直りたいと思う。
今日まで戦場に在って陣歿し或は殉職して悲命に斃れた者、
またその遺族を思うときは悲嘆に堪えぬ次第である。
また戦傷を負い戦災をこうむり、家業を失いたる者の生活に至りては
私の深く心配する所である。
この際私としてなすべきことがあれば何でもいとわない。
国民に呼びかけることがよければ私はいつでもマイクの前にも立つ。


一般国民には今まで何も知らせずにいたのであるから、
突然この決定を聞く場合動揺も甚だしかろう。
陸海軍将兵はさらに動揺も大きいであろう。
この気持ちをなだめることは相当困難なことであろうが、
どうか私の心持をよく理解して陸海軍大臣はともに努力し、
よく治まるようにして貰いたい。

必要あらば自分が親しく説き諭してもかまわない。
この際詔書を出す必要もあろうから、政府はさっそくその起案をしてもらいたい。
以上は私の考えである。」


このような天皇陛下の御聖断により大東亜戦争は終わりました。
イメージ 5


昭和天皇は後に、
「当時の私の決心は、第一にこのままでは日本民族が滅びてしまう、
私は赤子を保護することが出来ない。
第二には国体護持の事で木戸も同意見であったが、
敵が伊勢湾付近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は直ちに敵の制圧下に入り、
神器の移動の余裕はなく、その確保の見込みが立たない。
これでは国体護持は難しい。
故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和をせねばならぬと思った」

木戸とは内大臣だった木戸幸一です。
昭和20年12月6日、戦犯容疑者として逮捕状の出た木戸は
陛下から夕食に誘われました。
木戸は戦犯容疑者指名を理由に辞退しますが、
陛下はこのように言われました。
「米国より見れば犯罪人ならんも、我が国にとりては功労者なり」


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連日の35℃を超える猛暑!!!
愛犬はヒンヤリとした玄関で仲良く火照った体を癒してる。
ゴウヤは余りの暑さに黄色に変色。昆虫の保護色変身は見たが、ゴウヤは光を撥ねつける変色には驚いた。

夕方、末娘が新潟か
らバスで仙台経由で新幹線で福島に帰省した。息子が今週末に帰省するので、東京に嫁いだ娘の推奨で、皆んで映画ココリコを観に行く予定だ。

暑さで気だるい毎日だ。明日も、涼しい早朝に愛犬散歩、家庭
菜園に収獲だ。胡瓜、シシトウ、豆類、トマトは成長が早く、毎日の
収獲が欠かせない。友人にお裾分け。

2011年8月12日金曜日


ネット販売のアマゾンから宅配便で受け取った。
この美しい公式が地道に読み進めて行くと到達できると紹介されている。一見して美しいと感じとる感覚はまだ生きていた。読み進める内に更に素晴らしい世界が待っているような予感がする。飽きぽい性格の自己鍛錬として、チャレンジしてみる。
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代数、幾何、解析。数学の多くの分野は唯一つの式に合流し、そしてそれを起点に再び奔流となって迸る。ネイピア数、円周率、虚数、指数関数、三角関数が織りなす不思議の環:オイラーの公式。ファインマンは「これは我々の至宝である」と嘆じた。本書はこの公式の理解を目標に、数学の基礎を徹底的に解説する。記述は極めて丁寧かつ平明である為、意欲溢れる中高生の副読本としても好適である。
オイラーの公式ただひとつを理解させ、数学とはどんなものかをお話ではなく、基礎から本格的に独習できるよう解説する。すべての式が丁寧に展開されており、意欲ある中高生、理系の大学生を含む一般の人々に、数学全般が実際的・本質的に理解できる1冊。
 
面白い文章を見つけた。これは筆による字体の意味する考察だが、私は以前、宮本武蔵の水墨画を観たが、剣の達人の筆さばきが印象的だった。筆さばきは人格を表現するものらしい。

「先人たちの筆相が物語るもの
            
            森岡恒舟(筆相研究の第一人者)
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その人の深層心理は、その人の書く字に表れ、
その人の字を見れば、その人の深層心理が分かります。
そして、その人の字を書く時の習慣、
つまり深層心理の習慣は、他の行動にも顔をのぞかせるのです。



       (中略)


源義経の字を見てみると、非常に個性的で、
まず左払いが大変長く突出しています。


普通であれば深層心理が働いて一定の長さで
ストップさせるところを、
さらに突き抜けて伸ばすというのは、
人並みを超えて目立つわけですが、それで平気だということ、
目立つことが好きだということです。

実際に義経は、五条大橋で弁慶と大立ち回りをやったり、
鵯越の逆落としをやったり、
ことごとく世間の耳目を集める派手な行動をとっています。

深層心理としてそういうことを躊躇せず
やっていける人だったのです。


ただその一方で、義経の字はいずれも
右側へ転びそうなものが多いことも注目に値します。

こういう字を平気で書くところに、
あまり安定した状態を好まない深層心理が表れています。
むしろ転びそうな不安定な状態を自ら求めていたり、
転びそうになってもスイスイ乗り切って
そのことに気持ちよさを感じたりする傾向が見て取れます。

それが人間関係にも影響し、
頼朝との関係に破綻をきたしたとも考えられるのです。


        * *


突出するという点では、明智光秀の縦線下部の
引き延ばし具合も尋常ではなく、
これほど長い書き方は歴史上でも希です。

彼がもし枠の中に収まる程度の文字しか書かない人物であれば、
本能寺の変などという大それた事件は起こさなかったでしょう。
信長の逆鱗に触れてもひたすら謝り、
左遷先で堪え忍んで一生を終えたと思うのです。


        * *


吉田松陰の筆跡には非常に行動力が感じられます。
そして右上がりの度合いが強いところから、
保守的で柔軟性に欠けるところがあり、妥協を嫌います。



そうした深層心理が、黒船に乗り込もうというような思い切った行動や、
己の信念を貫き、最後は斬首されるという結末を暗示しています。
かつて学生運動が盛んな頃、大学の構内に掲示されていた看板に、
松陰に似た筆跡がよく見受けられたものです。


        * *


東郷平八郎の筆跡は、偏と旁がグッと密着しています。
これは包容力があって多くの人を束ねるトップリーダーというより、
人の意見に左右されず、自分の信念を貫くタイプです。



中国では偏と旁の間を気宇、心の広さを表す空間と捉え、
なるべく間隔を広くとって書くのがよいとされています。

一方で技術者は偏と旁の間を狭く書く傾向があります。
寿司職人などは客の言いなりになっていたのでは
うまい寿司は握れません。

「俺の握りが嫌なら、よそへ行ってくれ」とばかりに
自分のやり方にこだわり、それを通すタイプは
偏と旁の間は広く書けないのです。

東郷の筆跡にもそういうところが見て取れ、
実際、寡黙でいろんな意見を取り入れてという
タイプではなかったようです。

彼がもし偏と旁の間を広く書くような人であったら、
バルチック艦隊が近づいているという情報が入ったら、
心の中にはこうすべきだ、ああすべきだと、
いろんな人の意見が入り込んで千々に乱れていたでしょう。

東郷はやはり周りの雑音を受け付けず、
こうだと決めたことを徹底する前線指揮官のタイプであり、
だからこそ最強のバルチック艦隊を撃破し、
日本を勝利へ導くことができたのだと思います。


        * *


最後に、経営者を一人だけ見てみましょう。

「経営の神様」と謳われ、経営者に限らず
様々な人にいまもなお多大な影響を与え続ける松下幸之助
その筆跡は、小ぢんまりとまとめずにグッと大きく広げて書くのが特徴で、
心の内からほとばしり出るものが伝わってきます。



これは豊臣秀吉の書き方によく似ており
私は太閤相と呼んでいます。

また「助」という字の最終画が点になっていることから、
普通の人が考えつかないことを考え出す
アイデアマンであったことが窺えます。


さらに、縦線の上部への突き出しはそれほど際立っておらず、
包容力豊かなリーダーというより信念を持った技術者タイプです。


実際、細かいことに非常に厳しい人だったという話も聞いていますが、
それでも多くの人がついていったのは、
やはり太閤相にも表れているような人間的魅力があったからでしょう。

筆相を変えることによって、自分自身の運命をも
高めていくことができる




伊達市の小中学校(保原、柱沢、月館、松陽)の放射能汚染プール除染作業

 原発事故により、福島県は突然の悪夢に襲われている。毎日が不安な生活で、何時、収束して、元の平安な生活が取り戻せるか、先行き不透明なのが現状。

プール除染作業


放射能汚染対応は
①原発の修復安定化、②汚染地域からの避難、③汚染の除染、④除去廃棄物の処理等が進められているが、

 今回、福島県は復興事業として「がんばろう福島!、”絆”づくり応援事業」を立ち上げました。


伊達市教育委員会も本事業を受けて、管内の放射能汚染度が高い、小中学校を優先にプール除染作業を実施した。今回の除染作業は今後の除染方法の基礎データー収集(ゼオライト除染効果確認)も兼ねた作業で、原子力開発機構のスタッフも常駐、東工大の教授や原子力専門の工学博士も調査研究に来られてると聞いております。

 



放射能測定器



私の友人会社が本事業を請け負い、私に急遽20名の作業者を集めて欲しいと依頼が有り、作業開始が間もないので、短期間に私のいろいろなグループに声を掛け10名弱を集めて、ご紹介しました。
かなりの日当報酬が有るので、友人達は大変に喜んで、感謝の言葉を貰いました。

 福島県は今後とも本復興事業を継続計画しており、いろいろな面から私の出来る範囲で支援させて頂きたいと思ってます。私の友人の本作業状況の写真を掲載させて頂きました。

2011年8月11日木曜日

千葉県に有る、大きな病院
http://www.saigusa-hospital.com/profile.htmで、介護老人保険施設も併設しており、ベトナム、フィリピンの若者を受入れ、生活、勉学を支援し、看護師ライセンスを取得させて、母国で役立たせている、社会貢献事業を行っている。NHK等、多くのメデイアが取材に来られ、報道された。
 

今回、被災地復興支援として、我が伊達市に高校生の就職募集案内で来られた。多くの方と相談して、伊達市、伊達郡管内の保原、梁川、川俣、聖光の各高校の進路指導部の先生にアポイントをとり、同行訪問して、高校生の受入のご説明を行った。

各、高校は就職難で、遠路千葉から来られて、大歓迎で、先生方は大変喜んでいた。一人でも多くの学生が就職できることを祈念致します。