2011年12月6日火曜日

 以前、NHKで爆笑問題の爆問学問で取り上げられた、東京大学教授の福島智の興味深い文章を見つけたので、下記紹介します。
 どの様な、環境、現象に対して、ありのままに受入、それを肥やしとして、明日への糧とする、力はどの様に、何処から生じてるのか?
 今、生かされてる喜びを感じ、感謝できる姿勢に努力せねばと、改めて想わされました。
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   3歳で右目を、9歳で左目を失明。
   18歳で聴力も失い、全盲ろうになった福島智氏。

   過酷な運命を自らの生きる力へと変え、
   盲ろう者として初の東大教授になるなど、
   障害学の分野に新たな地平を拓いてきた氏の
   お話をご紹介します。


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        「苦悩は人生の肥やしとなる」
       
       
            福島智(東京大学先端科学技術研究センター教授)

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【記者:ご自身では障害や苦悩の意味を
    どのように捉えていますか】


障害を持ったことで、私は障害者のことを
少しは考えるようになりました。

やはり何がしかの関係を持ったこと、
広い意味での当事者になったことが
その大きなきっかけになりました。

また、自分にとっての苦悩は他者との
コミュニケーションが断絶されることでしたが、
これも実際に体験してみて初めて分かったことでした。


苦悩を体験することの凄さは、
苦悩の一つのパターンが理屈抜きに分かること。
もう一つは、苦悩する人たちが抱えているものを
想像しやすくなるということですね。

挫折や失敗をすることはしんどいし、
できるだけ避けたいけれど、
おそらくほとんどの人が人生のどこかでそれを経験する。

いくら避けようとしても必ず何がしかのものはやってくる。
だから来た時にね、



“これはこれで肥やしになる”


と思えばいいんですよ。

私が子供の時代には、まだ日本にも
たくさんあった肥溜めは、
臭いし皆が避けちゃうけれど、
それが肥やしとなって作物を育てた。

一見無駄なものや嫌われているものが、
実は凄く大切なことに繋がるということでしょう。
これは自然界の一つの法則だと思います。



       * *


同じようなことをアウシュビッツの収容所を生き抜いた
フランクルが述べています。

彼はいつ死ぬかも分からないという極限状況の中でも、
苦悩には意味があると感じていたようですが、
それは彼一人だけの思いではなかった。

あの過酷な状況下で、自分以外の他者のために
心を砕く人がいたように、ぎりぎりの局面で
人間の本質の美しさが現れてくる時がある。


もちろんその逆に、本質的な残酷さや醜さを
見せることもありますが、
人間はその両方を持っているわけですよね。

おそらく彼は苦悩をどう受け止めるかというところに、
人の真価、人間としての本当の価値が
試されていると考えたんじゃないかと思うんです。


苦悩というフィルターをかけることで、
その人の本質が見えてくると。


フランクルの主張で最も共感を覚えるのは、
その人が何かを発明したり、
能力が優れているから価値があるということよりも、
その人が生きる上でどんな対応をするか。

苦悩や死やその他諸々の困難に
毅然と立ち向かうことが最高度の価値を持つ、
といった趣旨のことを述べている点です。

したがって、障害を持ったことや病気をしたこと自体に
意味があるのではなく、それをどう捉えるかということ。

身体的な機能不全を経験することも、
それ自体に大きな意味があるんじゃなく、
それを通してその人が自分自身や他者、
あるいは社会、あるいは生きるということを
どのように見るかが問われているのだと思います。

1 件のコメント:

  1. 目の前にある現状を受け入れ感謝しながら努力する。

    素晴らしい生きたかですね。

    感動です。

    ありがとうございます。

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