2011年4月29日金曜日

110418 Domingo sang a Japanese home land song. ドミンゴふるさとを歌う


このニュース、JSTVで偶然見ました。

公演キャンセルでも仕方の無い状況。でも敢えて来てくださったと­は・・

イタリア在住ですが、こちらでも原発のニュースはかなりセンセー­ショナルに

報道されています。

今「日本に行く」ということが海外の人にとってどれだけ行動力・­勇気の

いることか!ドミンゴ氏の日本に対する愛情にただただテレビの前­で

涙しました。心からありがとうと言いたいです。


文化欄にP.ドミンゴ氏のこの4月の公演のことを
24年に渡って日本公演を手掛けるプロモーター:寺島忠男氏が書いていました。
大使館での歓迎晩餐会でメキシコ大使が来日をためらわなかったかと聞くと
「もし来ないほうがいい状況なら24年一緒に仕事をしてる寺島がそう言ってくれる。
 彼が何も言わないなら絶対安全だと確信を持っていた」
と言ったそうです。すばらしい信頼関係。
地震だけでなく、原発問題がどんどん深刻化していくなか、
ドミンゴ氏はいちどたりとも「大丈夫か?」とも問い合わせることなく、
寺島氏を信じて来日して公演してくれたそうです。

2011年4月26日火曜日

  震災で我が家の古いテレビが落下して壊れた、大きな本棚は倒れ無かったが、大きくズレタので、本が有る状態では元の場所に移動出来ないので、本を全て出して、いらない本をダンボール箱8ケに詰めて放置してたが、伊達市の震災対処のビラで、通常テレビの処分は有料だが、今回は無料で引き取るの記載が有ったので、近くのゴミ処理場へ昨日、運搬したが、同様の車の長い渋滞だったので、諦めて引き返し、今日は朝早く行って、少し並んでから所定の場所に捨てた。震災被害の多くの家電、畳、他、雑多な物が有った。

 ゴミ処理場の近くの大きな橋は被害を受け、通行止めと成ってた。その脇の河沿いの桃畑は震災を知ってか知らずか満開で素晴らしい眺めだった。







 東京の友人(富士通関連会社に勤務しており、私の寮生活時代の同部屋だった)からメールが来て、福島を心配、応援メッセージでした「今日、昼休みに会社食堂で福島県JA伊達市いちごを労働組合の役員が販売していました。はじめてのイベントであり、福島伊達市保原の富士通アイソテックとの繋がりで販売いしているとの話でしたので、1パックを買って職場の仲間と食べました。当方の実家は柏崎
・刈羽原発から15kmと近いため、現在進行中の放射能による避難は他人事に思えなく、いちごを買いました。」











 ゴミ処理場へ行く前にセブンイレブンに寄ったが、表紙が目に止まり、福島シテイ情報CJを購入した。
先日、CJの担当者に来月の「絵と戯れる会」発表会の案内記事を依頼してたが、良いタイミングで掲載されていた。皆が元気が出る発表会が開催出来たら幸せです。発表会に向け、数ケ月前に仲間と近くの岩肌が素晴らしい霊山へスケッチに行ったが、スケッチブックの水彩をキャンバスにアクリルで描いておりますが、現場で画いたスケッチの方がバランスが良く、その時のイメージがなかなかキャンバスに描けず、悪戦苦闘してる。




2011年4月25日月曜日

ave 福の歌~頑張っぺver.~/歌詞&スライドショーつき


私の友人の家族が大好きな歌手、歌です。元気、勇気が出ました。ありがとうございます。

田中好子 肉声で最後のお別れの言葉


こんにちは。田中好子です。今日は3月29日。東日本大震災から2週間たちました。被災された皆さまのことを思うと、心が破裂するように痛み、ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。

 私も一生懸命、病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもその時は必ず天国で、被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと思っています。

 今日お集まりいただいている皆さまにお礼を伝えたくて、このテープを託します。キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。幸せな、幸せな人生でした。心の底から感謝しています。

 特にランさん、ミキさん、ありがとう。2人が大好きでした。

 映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。もっともっと女優を続けたかった。

 お礼の言葉をいつまでもいつまでも皆さまに伝えたいのですが、息苦しくなってきました。

 いつの日か、妹(義妹)の夏目雅子のように、支えてくださった皆さまに、社会に、少しでも恩返しができるように復活したいと思っています。かずさん(夫の小達一雄さん)、よろしくね。その日までさようなら。

南三陸町志津川高校から見た津波の様子 Tsunami attacking in Minami-Sanriku

投稿者: | 作成日: 2011/04/10


東日本大震災で、南三陸町志津川高校から見た津波の様子をデジカメで撮影いたしました。

最後の方で、畑を逃げている人たちは全員助かっています。

追記
9.11テロの際には、報道の流す映像によってPTSDの症状が出た方がいたようです。このようなショッキングな映像を見続けることは心の健康にプラスにはなりません。ご­注意ください。
私自身この津波で家を流され、飼っていた猫も失いました。あまりこの動画を見たいとは思いませんので、散々迷った挙句アップロードいたしました。
これを見ることが被災者の気持ちを理解することにつながるとは思いませんが、何が起きてどんな感じだったのかを誰かに知ってもらいたいと思って公開してしまいました。


  • 最後の方で車いすの方々を救助されているところがありますが、撮­影場所の左下のところには慈恵園という老人ホームがありました。­そこでも大勢の方々がお亡くなりになっています。入居者や職員の­方も犠牲になっています。去年個人的に用事があってそこに行きま­したが駐車場は町を見渡せる高いところでした。この動画を見ます­とその津波の高さが感じます。また気仙沼線の線路の上を乗りこえ­てくる津波のすさまじさに驚嘆するばかりです。またリンゴマーク­の建物のウジエースーパーの建物を壊していく様もすごいです。投­稿ありがとうございます。

  • このすごい光景を現実に見ながら、なお流される寸前の人(車椅子­かー・・・)を助けようとする人達の勇気が記録されている。投稿­者の方ありがとう。

       すべて失った古市忠夫さんが、
       手元にたった一つ残ったゴルフバッグに
       人生を懸けて挑んだプロテスト。

       合格率3%の難関を見事突破した古市さんが見つけた、
       奇跡を起こすために必要なマインドとは――

           「奇跡を起こす方程式」
                 古市忠夫(プロゴルファー)
                   
     最近、なんで俺がこんなありえない人生を
     歩んでいるんだろうと考えた時、
     「奇跡を起こす方程式」を思いついたんです。

     「奇跡=才能×努力×感謝力」

     さっきも言うたように、才能や努力では
     プロテストを受ける二十代の若者には敵いません。
     しかし、感謝力だったら負けない自信がある。
     震災に遭うまでは、どんな状況でも
     不撓不屈で頑張ることのできる人が勇者だと思っていました。
     でも、真の勇者は頑張れることへ感謝できる人なんですね
     才能と努力だけで栄光を掴みにいくと、
     うぬぼれるから怖いのです。
     最後の一打で手が届かなかったりする。
     だからプロテストを見ていても、
     通る、通らないというのは大体分かります。
     どこで見極めるかといえば、まず、
     感謝力が強い人はきちんと挨拶をします。
     こっちが一礼して
     「おはようございます」と挨拶しているのに、
     首だけでペコッとかいうのは挨拶ちゃうで(笑)。
     それから歩き方。大地を踏みしめて、
     胸を張ってスーッと歩ける人は通ります。
     どんなにミスをしても、
     頑張れることへ感謝できる人はオドオドしない。
     人生は最後の最後まで分からない、というのが私の持論です。


     私たちは震災であまりにも多くのものを失いました。
     しかし、それによって大切なのは物ではなく、
     お金でもなく、地位や名声でもない。
     人の愛であり、優しさであり、人を思いやる心であり、
     感謝であり、積極的な心だと分かった。
     そのおかげで、いま、私は夢のような人生を歩んでいる。
     人生、何がピンチで何がチャンスか、
     その時点では判断できないと思うんですよ。

     でも、どんな時でも正直に、悔いなく、
     感謝の心を持って生きると、
     ものすごいパワーが生まれて奇跡を起こしてくれる。
     それは誰が起こしてくれるのか? 
     周りの人です。自分の力では奇跡は起きません。
     なんぼおっちゃんが頑張ったところで、
     映画なんてできませんて。
     (編集部注
    古市氏の半生は映画化もされました)
     まして上映会にタイガー・ウッズを呼んで、
     一緒にゴルフなんて絶対できへん。だから、
     奇跡は周囲の人が起こしてくれるものなのです。
     
     感謝は人の心を大きく、美しく、そして強くします。
     いくらゴルフが上手でもプロにはなれません。
     強い人がプロになるんです。
     そして強い人はいつも周りの人に感謝している。
     だからますます強くなる。

     いろいろなプロの姿を見てきて、そう思いますね。











何時もの福島競馬場前の和食、蕎麦が美味い竹林亭で「絵と戯れる会」の仲間と昼食をした。
来月末の作品発表会の案内葉書を皆様に手渡した。震災の話題で話が尽きない。発表会には東京在住の会員からも出品が有り、本当に素晴らしい仲間で、会期中は久しぶりの会員との再会、友人、親戚、他の来客が有り、毎年楽しみにしてる。今回は故人会員も含めて12名の出展で、油絵、アクリル画、水彩画、水墨画、クロッキー、版画、陶器等、多彩で、楽しい発表会ですので、多くのご来客を期待してます。

竹林亭



2011年4月23日土曜日

@kumikokatase 函館
理学博士(生物系)。翻訳修行中。 一児の母。 (片瀬久美子はペンネームです)

放射線の健康影響について-チェルノブイリ事故からAdd Starjrf (red)oku1 (green)cohalyottokiyu-kubolabox

| 00:22 | 放射線の健康影響について-チェルノブイリ事故からを含むブックマーク

福島第一原発の事故は、これまで放出した放射性物質の総量などから、国際評価尺度(INES)でチェルノブイリと同じレベル7に分類されました。
とても深刻な事態ですが、これまでに大気に放出された放射性物質の量はチェルノブイリの約1/10です。
とはいっても、放射線の健康被害について気になる方も多いと思います。

参考までに、チェルノブイリ事故で放出された放射性物質の影響についてのWHOの概要報告を訳してみたので紹介します。
この報告書は、疫学的な見方の解説も要所でされているので、分かり易いのではないかと思います。

<誤解している人達もいる様なので、ここに書いておきます>
※基本的に放射線は人から人へうつりません。
もし人が放射線を帯びるくらいに被曝していたら、そもそも入院して動けない状態でしょう。福島から避難してきた人達から放射線が出ていて近づくと危険かも知れないと考えて、受け入れを拒否したり、子供の間で「放射線がうつる」と仲間はずれにするイジメがあったりといった、悲しい事が起きている様です。こういった誤解による偏見と差別は無くしていかなければなりません。
もし、周囲に誤解している人達がいれば、「放射線はうつらない」と教えてあげて下さい。

[追記]
その人が着ている服に放射性物質が付着していて、それがパラパラと落ちたりして他の人に「うつる」ということはあり得ることですが、途中で既に服を着替えている場合は、そんな心配は無いですよね。
荷物にしても、避難の指示が出されている比較的放射線量の高い区域内にある場所で外にずっと置きっぱなしにしていて埃だらけ泥だらけならば放射性物質が付着して残っているかも知れません。でも、身の回りの物をそんな状態にしていた人はいないでしょう。
事故があった原発周辺の地域でも屋内にあった物ならば、気にする必要は無いと思います。

問題にしているのは、「放射線を人体が帯びてしまって、体そのものから放射線を発している」と勘違いしている人達が意外と多いということです。(穢れているという様な、感覚的な恐れから来ている誤解かもしれませんが、この場合、人をバイキン扱いすることは大きく間違っています)
もちろん、人が瀕死か即死状態になるくらいの極端に高い量の被曝をすれば人体が放射線を帯びるといった事もあり得るでしょうが、まずそんな目に遭った人が普通に歩き回れるわけは無いです。

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チェルノブイリ事故の健康影響

1986年4月26日に、当時は旧ソ連ウクライナのチェルノブイリにある原子力発電所の4号原子炉で爆発があり、大気中に膨大な量の放射性物質が放出されました。これらの物質は主にヨーロッパ全域の国々、特にベラルーシロシア連邦、ウクライナの広域にわたって堆積しました。

最初に35万人と推定される軍からの清掃労働者あるいは「清算人」とよばれる人々発電所従業員、地域の警察官と消防士が、1986-1987年の間に放射線を帯びた破片類の封じ込めと清掃に従事しました。約24万人の清算人が、その原子炉の周囲30kmの範囲内で主要な軽減活動を実施している間に、最も高い放射線量を受けました。後に、登録された清算人の数は60万人にのぼりましたが、放射線の高いレベルの被曝を受けたのはその内のごく一部でした。

1986年の春と夏に、11万6千人がチェルノブイリの原子炉の周囲の地域から非汚染地域に避難しました。その他に23万人がその後数年間で移住しました。

現在は、約5百万人がベラルーシ、ロシア連邦、ウクライナにある放射性セシウムの堆積が37kBq/m2*1よりも多いレベルの地域に住んでいます。その中でも、約27万人はソビエト専門家によって厳戒制限区域(SCZs)とされた放射性セシウムの汚染が555kBq/m2*1を超えている地域に住み続けています。

避難と移住は、社会的な人間関係を分断したのと、その人達が家に戻る可能性が無いことから、多くの人々に深い心の傷となる経験を与えました。多くの人にとって、「被曝者」であることは社会的な不名誉となりました。

事故後の最初の数年間に人々に与えられた信頼出来る情報の欠如に加えて、公式発表の不信が広まり、そしてチェルノブイリからの放射線被曝に対する健康問題の誤った帰属がありました。

この概況報告書は、質の高い科学研究から立証できるチェルノブイリ事故の健康影響の概観を伝えます。事故により最も影響を受けた人々にとって、信頼出来る正確な情報の提供が彼らの立ち直りを手伝うはずです。

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福島出身の女性と結婚すると、将来子供を産めないか生まれた子に障害がでるのではないかといって「婚約破棄」をするといった愚かなことをする人達も出てきている様です。福島の事故と比べてずっと放射線の被曝量が多かったチェルノブイリ事故の被災者の間にさえ、特に問題は見出せなかったのですから、そういった恐れは杞憂だろうと思います。
もっとも、女性に対してその人の人格を尊重するのではなく子供を産む道具の様に見ていて、急に手のひらを返して欠陥品扱いし「婚約破棄」する様な人達とは結婚しない方が良いかもしれませんね。

以上、チェルノブイリ事故による放射線の健康への影響についてまとめた報告書を読むと、現時点での福島の事故は内陸部の汚染状況を比較するとそれよりも放射線量がずっと少ないことから、比較的放射線量の高い地域(原発周辺とその北西部)に長期間滞在しなければそれほど大きな問題は無さそうです。
水道水や牛乳や野菜類・肉類を含めた飲食物も放射能の検査が行われて基準値を超える物は極力排除されているので、これらを介した内部被曝も限られており、あまり心配し過ぎる必要は無いと思われます。
今後の問題としては、現在でも事故のあった原発から海に汚染水の流出が続いており、特に放射性セシウムなどの寿命の長い放射性物質がどの様に海の生物に影響していくのかはまだよく分からず、きちんとした監視が必要だろうと思います。

2011年4月22日金曜日

先日、早朝の愛犬散歩のとき、阿武隈急行の復旧状況を観た。
保原、梁川間の開通に続いて、保原、瀬の上間が開通した。先日の線路を外して、陥没を埋めて、線路が引かれてた。後は福島駅までの開通を待つのみ。
 近くの建屋敷地内の液状化現象で隆起した部分も修復作業の重機が有った。

 










 
 午後から妻のアルバイト先の喫茶店(草の花 http://www.cjnavi.co.jp/special/index.php?theme=5022&recid=1114&PHPSESSID=58d4a2aa019e3831e90300c6588d)に行き、コーヒー、妻の手作りケーキを美味しく頂きながら、妻、妻の友人を待って、最近開店した先輩の息子さんが料理を作る店長のお店(谷津屋      http://r.tabelog.com/fukushima/A0701/A070101/7008369/)で食事をした。窓から眺める桜はライトアップされ、団欒に花を添えた。













 今日は福島駅に東京から福島にボランテイア支援で来られる方を車で迎えに行った。岩手、宮城地域にボランテイア支援してる方と今後のボランテイア支援の在り方を話し合った。
夕方、東京の娘が福島の友人の安否確認で久しぶりに来た。愛犬2頭は非常に喜び抱きついていた。

マイケル サンデル 究極の選択 その8

マイケル サンデル 究極の選択 その7

マイケル・サンデル 究極の選択 その6

マイケル・サンデル 究極の選択 その5

マイケル・サンデル 究極の選択 その4

マイケル・サンデル 究極の選択 その3

マイケル サンデル 究極の選択 その2

マイケル サンデル 究極な選択 その1

今回の震災に対する世界的な援助活動の輪が広がっていることについて、「ハーバード白熱教室」のマイケル・サンデル教授による特別講義が公開された。

震災の苦しみのなか、多くの人が途方に暮れながらも手を携え、未来へと踏み出している。大震災の様子は世界各地に報道され、世界の人々は、震災のすさまじさに驚くとともに、過酷な状況でも、冷静に協力し合う日本人の姿に感動し、称賛のエールを送った。その1人が「ハーバード白熱教室」のマイケル・サンデル教授だ。番組では、いま日本がおかれた状況に対し、世界の若者が意見を述べ、「わたしたちは何をすべきか」を考える。


【出演】
ハーバード大学教授…マイケル・サンデル
女優…高畑淳子
ジャパネットたかた社長…高田明
歌手…高橋ジョージ
作家…石田衣良


日本の有名人を交えて、ボストン、中国、日本の3カ国による同時公開講座だ。非常に興味深い講義だったのでここに紹介したいとおもいます。

2011年4月20日水曜日

東日本大震災 女川町 佐藤充専務 中国人研修生20名を救う

 私は中国へ会社設立で13年間の勤務生活をして、多くの中国人友人と知り合い、今でも情報交換してるが、この佐藤さんは先日、工場で遺体で発見された。中国ではこの映像が大きな反響を呼び、義援金を携えた中国人代表が、遺体発見場所に花束をたむけてる様子が今晩、テレビ放映されてた。

中国ではいま一人の日本人男性の命懸けの行為が
 国民の間で大きな感動を呼んでいます。

 
 宮城県女川町の佐藤水産専務・佐藤充さん。
 享年五十五歳。
 
 子供の頃から先輩として親しみ、
 石巻木鶏クラブの大切な仲間でもありました。

 二〇一一年三月十一日。
 東日本を巨大地震と大津波が襲ったこの日のことは
 私たちの記憶から一生消えることがないでしょう。
 
 
 佐藤さんはその時、港のすぐ傍にある会社で
 業務に当たっていました。
 
 佐藤水産は東京築地市場をはじめ、
 全国の主要都市に出荷を続ける生ウニの老舗で、
 佐藤さんはその営業責任者でした。

 近年では中国遼寧省の大連から研修生を受け入れており、
 三年という期限付きで二十人が加工や出荷に携わっていました。
 
 震災が起きたこの日も、いつもどおり
 冷たい水作業に手をかじかませながら
 和気藹々と仕事に勤しんでいたのです。

午後二時四十六分、突然の激しい揺れが襲いました。
驚いた研修生たちはすぐに寄宿舎の傍の
小高い場所に避難しました。

しかし彼女たちには津波に対する十分な知識がありません。
佐藤さんは怯えながら寄り添う研修生の姿を発見するや


「もうすぐ津波が来る。早く避難しなさい」


と大声で伝え、高台にある神社まで連れて行きました。

そして、残っている従業員や研修生はいないかと、
自らの危険を省みることなく再び会社に戻ったのです。
 すでに津波は目前に迫っていました。
 
 水かさは一秒ごとに増していきます。
 佐藤さんは屋上に逃げたものの、
 高台にいる研修生の前でついに社屋ごと津波に呑まれ、
 そのまま行方が分からなくなりました。
 
 研修生たちはなすすべもなく、
 泣きながら見守ることしかできなかったといいます。

 大雪の中、帰る場所を失い途方に暮れる
 研修生たちを助けたのは、
 佐藤さんの兄で社長の仁さんでした。
 
 仁さんは悲嘆に暮れる間もなく、
 山手に住む知り合いに助けを求めて研修生の居場所を確保し、
 二十人全員を無事中国に帰国させたのです。


「あの時、もし佐藤専務に助けられなかったら、
私たちは全員津波の犠牲になっていた」 


研修生たちがそう涙ながらに語る姿を、
中国のテレビや新聞は一斉に報じました。

報道は国民に大きな反響を呼び、
同国のポータルサイトには


「彼は愛に国境がないことを教えてくれた」

「彼の殺身成仁精神を中国人は決して忘れない」


という声が殺到しました。
私も佐藤さんをよく知る一人として、
彼の犠牲的精神に心から敬意を表し、
縁あってともに学び、語り合えたことを
誇りに思わずにはいられません。

2011年4月19日火曜日

タイ - "バード"トンチャイが歌う日本応援歌

 日経新聞の一面の春秋覧で紹介されてたが、ベストセラーと成った小説「メナムの残照」で何度も映画化されテレビドラマにもなり、放映時間となると街中から人の姿が消え、犯罪も減ったと語り伝えられており、日本の青年将校とタイ女性の悲恋を描く。主演のタイ”バード”トンチャイが日本を応援する歌を作った。彼らしい柔らかく切ない歌い方は、いたわりの心をよく伝えてる。

 私の以前の勤務先の会社はタイに工場が有り、仲間の多くが出向した。私も中国の工場へ出向してた時、何度もタイに出張で訪れたが、タイ、ミャンマーの人々の優しさを思い出された。タイ工場に出向してた、「絵と戯れる会」の親友が帰国後、癌の病で旅立ったことは、なんともやるせない。いろいろなことを思い出される哀愁をおびた歌声で涙が溢れてきた。

2011年4月15日金曜日


東大病院で放射線治療を担当するチームです。医師の他、原子力工学、理論物理、医学物理の専門家がスクラムを組んで、今回の原発事故に関して正しい医学的知識を提供していきます。
Twitter:team_nakagawa
by teamnakagawa

放射能はうつるのか?
http://tnakagawa.exblog.jp/15272526/
福島県から避難してきた子供たちが、避難先で偏見を持たれるケースが生じています。一時帰宅された方の受け入れを、避難所などで問題にするケースもあるようです。拒否された方々は、深い心の傷を負うことでしょう。また、心ない言葉をかけた方々のことを想像すると、その人々が、よくわからない放射能の不安から、過剰な反応をしてしまうことも理解できます。

放射線や放射性物質は目で見ることができず、一見影響も全く見えません。このことが不安を大きくしてしまう原因の一つであると思います。そして、放射能への偏見や風評が広がることが被災地の復興・復旧に大きな影響を及ぼします。今私たち(特に大人)は、放射線を“正しく”怖がることが必要です。

私たちteam_nakagawaは、放射線治療のチームです。患者さんに治療として与える放射線は、福島第一原発敷地内で観測されている放射線よりも何倍も強力です。ですが、患者さんの体の外から放射線を与える(照射する)場合、治療後に患者さんにいくら近づいても、私たちやご家族などが被ばくすることは決してありません。

また、放射線の照射以外にも、放射線治療や診断では、さまざまな放射性物質を患者さんに投与しています。今回の原発事故で話題となった放射性ヨウ素131も、甲状腺がんやバセドウ病の治療として患者さんに内服してもらうことがあります。これは言わば“内部被ばく”です。

放射線治療の“内部被ばく”の量は、今回、それが最も高いと考えられる福島第一原子力発電所作業員の方々の内部被ばくよりも桁違いに大きいと考えられます(甲状腺がん治療で1回最大3,700,000,000 Bq(ベクレル)。これは飲料水1kgの暫定規制値300 Bqの1千万倍です。)。その場合でも、投与直後(注1)を除き、私たち治療チームが、患者さんに尽きっきりで世話をすることに全く問題が生じません。

注1: 患者さんは、放射性ヨウ素131を内服後、別部屋に居てもらいます。患者さんの体表面から1メートルの地点で測定された線量率が、1時間あたり30 μSv(マイクロシーベルト)以下であれば、退出・帰宅が認められます。バセドウ病の患者さんで即日、甲状腺がんの患者さんで3日程度です。

避難区域に長く滞在していたとしても、現在の内部被ばく量は、放射線治療に比べれば本当に“微々たるもの”です。それによって、周囲の方々が被ばくするようなことなど、決してないことがお分かりになると思います。(もちろん、避難されている方々の放射線による健康被害を考える必要はない、などと私たちが主張しているのではありません。)

環境放射線測定データを見る限り、3月15日以降、大規模な放射性物質の放出はありません。放射線の強さは各地で横ばいか減少傾向にあります。

原発から飛散した放射性物質は、自然に、もしくは雨によって地面に落ちてきます。今、測定されている放射線は、ほとんど地面や草木、壁にくっついた放射性物質から放たれています。一方、大気中の放射性物質は、ほとんど気にする必要がないくらい少なくなりました。

したがって今観測されているデータに基づけば、避難区域に一時帰宅したくらいでは、その方に放射性物質が大量に付着することは有り得ないことがわかります。一時帰宅された方と接触したからといって、その方から(得体の知れない“放射能”は言うまでもなく)大量の放射性物質を受け取ったりすることもありません。

私たちteam_nakagawaは、放射線治療のチームであるため、今回の事故を医療被ばくと比較しがちです。しかしながら、“医療被ばくとは何が違うのか?”のところでも書きましたが、医療被ばくにはメリットがある一方で、原発事故による被ばくにはメリットがありません。その上、多くの方々を不安にさせ、その心(特に子供たちの心)に深い傷を負わせた今回の福島第一原発事故を、一刻も早く収束させて欲しいと思っています。
4月15日(金)伊達市保原町 晴 20℃

 少し落ち着いたのでブログを再開する。
3月27日に千葉宅へ妻、愛犬2頭と行き、息子、娘、妹家族、中国時代の友人、東京の友人と再会し4月9日に福島の自宅に戻って来た。千葉へ向かう東北高速道路はガソリン、物資運搬車両を多く観たが、帰途では医師、看護師の緊急車両が多く有った。被災地の状況は刻々変化しており、ニーズに合せた支援が実施されてることを実感した。

 帰宅後、隣近所の状況を見て歩いたが、ガソリン、水道水、スーパーの食品等はほぼ潤沢に戻りつつ有ったが、強い余震が頻繁に起きており、地盤、建物が緩んだ所は
更に崩壊がすすんでおり、屋根瓦等の修復は人手が足りず、修復待ちの状態で有った。液状化現象の隆起、石灯篭の崩壊。家の近くの阿武隈急行は保原、梁川間は開通復旧してたが、保原、福島間は途中の瀬の上の橋が復旧しておらず、何時再開通か不明の状態で有る。東北新幹線は福島、東京間が今月中には開通の予定。

 新潟の従兄は以前の新潟地震で家が傾く経験をしており、有名な魚沼産のこしひかり、他の食糧を宅配便が再開したので送って来た。群馬の従兄は大規模農園を営んでおり、福島郡山のスーパーに出荷してるが一時、風評で出荷出来なかったが、現在は出荷可と成ったので、トマト、胡瓜、茄子、大根等を多く送って来た。感謝感激だ。

 伊達市社会福祉協議会にボランテイア状況を確認したが、保原の避難所にいた避難者は当初200名程いたが、順次、親戚他へ移住して現在、近くの柱沢避難所に10名程いるそうで、炊き出しの世話等をするので、後日連絡するので、支援を宜しくとのことだった。近くの教育センターへ従兄のトマトを1ケース持参して状況確認に行ったが、全国からの支援物資が多く保管され、毎日のように、岩手、宮城に運搬してるそうだ。今後、宿泊受入等を検討するそうで、その時、連絡するとのことだった。

 福島に帰宅後は丁度、ジャガ芋の植付け時期なので、之までは東京の子供達へ送付してたが、福島産は敬遠してるので、去年より少なく6Kのダンシャク、メークイン種芋を購入して、消毒乾燥して植え付けた。長葱、玉葱苗が草と一緒で発育に影響が有るので大量の移植だった。キャベツもこれから余り大きく育たないものを間引きした。くきだち、ほうれん草、ブロッコリー、キャベツを収獲した。

 昨日は近隣町の友人2人と飯坂温泉に改築した大衆浴場の波来湯温泉に行った。温泉脇には河が流れ情緒豊かな温泉街で、以前、仲間とスケッチの会等を行ったのを思い出した。以前は絹の仲買人、福島競馬の騎手等が疲れを癒す、芸者も多くいた、賑わい有る温泉街で有ったが、今は客足も少なくなり、いろいろな街起こしに取り組んでいる。

 今日は2ケ月毎に娘が勤務していた病院に定期検診に行ったが、薬が効いたのか、千葉でのんびりした為か、家庭菜園で猛烈に汗をかいた為か分からぬが、半年止めてたタバコの再開、あまりやらぬ晩酌のビールの量も増えたが、数値が良く成っており、医者も驚いていた。病は気からで、ストレスが最大の原因か?好きなことを適度にやるのが、健康の秘訣か?(今までもそうだったが)。

 病院の待合室で今朝の新聞を見てたら、福島県庁の友人が4月から上海福島出先機関の所長として赴任したが、風評で福島産の産物を中国人が敬遠してるので、それの対応で、同じビルの日系企業等の励ましで、福島産物宣伝のイベントを催してる写真が掲載されていた。今後、福島の復興はあらゆるアイデアで全県一丸の取り組みが必要と感じた。

 今月末までは好きなゴルフも自粛し、(練習場の囲いネットが崩壊し、再開の目途が立たず。近くのゴルフ場の被災も酷く、レストラン、風呂が使えず、スループレーでの再開)、ボランテイア活動に待機してる。来月末の「絵と戯れる会」発表会の製作に、なかなかキャンバスに向かえず、焦っている。友人の会社のダメージも大きく、今回は発表会参加見送りの連絡が有った。明日から画き始め無いと時間切れだ。




2011年4月8日金曜日

4月8日(金)千葉市 強風快晴 気温18℃

 昨夜は大震災後の最大余震、宮城、震度6強が有ったが、津波、原発は異常なし。が、原発は次々問題発生、何時、沈静化するのか?

「10人の法則」  勇気を貰いました。ありがとう!
             
            西田文郎(サンリ会長)
        
 (北京五輪で金メダルを取った女子ソフトボールチームは)
優勝が決まった時、選手の皆さんが人差し指を天に突き上げて、ナンバーワンポーズをしていたんです。あれは脳が目標を無意識に反復するためのボディーランゲージだったんですね。
 
 どういう動作にするかはチーム内で決めてもらいましたが、それを日々練習の時から反復してもらったり、筋肉をリラックスさせるための呼吸法など、 生理学的にベストコンディションになるようなことは、もちろんお教えしました。それ以外にお釈迦さんの六方拝をやっていただいたり……。

(六方拝?)

 お釈迦様は東西南北と天地、要するにすべてに感謝しなさいと言われました。
 
 これを選手用にアレンジしまして、東に向かって先祖に、西に向かって家族に、南に向かって恩師に、北に向かって友人に、そして天地に向かって自然に感謝してくださいと。

 また、用紙に自分の名前を中心に書いて、その周りに恩師とは誰なのか、 家族には何を感謝するのか、ということまで明確に書いてもらいました。

 これらのことは、選手の皆さんには「外気を取り入れる」という言い方をしましたが、多くの人がいてくださって 生かされているという感覚を持っていただきたかったんですね。

 ただ、人間の思いは思っているだけでは強化されませんから、 「特に感謝すべき人を十人挙げて、感謝の心を伝えに行く」 ということを実践してもらいました。これは何も彼女たちに限ったことではなくて、私は経営者層や他の職種の人たちにも言っていることなんです。

 「あなたの感謝すべき十人の名前を挙げなさい。そして一年以内に感謝を伝えに行きなさい」

 と。また、応用編として、「お金持ちになりたければ、 十人のお金持ちと付き合いなさい」
「頭のいい人間になりたければ、十人の頭のいい人間と付き合いなさい」と言って、これを「十人の法則」と呼んでいます。

 その対象は亡くなった人でもいいんです。ピッチャーの上野由岐子選手は、亡くなられた高校時代の監督さんのお墓を拝みに行きました。そうして「ありがとう」と伝えるだけで、自分のエネルギーがなくなった時に、 先生から見えないエネルギーをもらっているんだという気持ちになる。また、自分の言動は全部記憶データの中に
インプットされますから、いざという時に表れるんですね。

 
 例えば、試合中ピンチが訪れた時、味方がエラーした時……。自分自身はもちろん、チームメイトを信じられることが、最終的にチーム力となって絶対表れると思いました。だからそういうことに取り組んでいただいたのです。

 ただ、これはスポーツ選手に限った話ではないので、ぜひ一般の方にも六方拝、「十人の法則」をやっていただきたいと思いますね。


2011年4月7日木曜日

「I love you & I need you ふくしま」猪苗代湖ズ

4月7日(木) テレビニュース報道 素晴らしい!!

 宮古市田老の宮古北高で避難所生活を送る赤沼ヨシさん(93)は、持ち前の明るさで被災者の心を和ませている。

 赤沼さんが身を寄せるのは、15人が避難する同校の一室。赤沼さんのように津波で家を奪われた人々が共に暮らす部屋からは、笑い声が絶えない。

 数え年で94歳の赤沼さん。「足が不自由だから押し車を94馬力で押して逃げたのよ」

 思い出すのもつらい被災の様子をからりと笑い飛ばしたと思えば「若ければ彼氏も来たけれど、自衛隊の人におんぶしてもらって助けられたの」とたたみかけ、被災者からどっと笑いが漏れる。

 避難所を訪問した達増知事には田老の復興を熱く訴え、知事に「こちらが励まされました」と言わしめたという。赤沼さんは「今度は菅首相が来るのを待っている」と、いたずらっぽく笑う。

 自身も経験した1933(昭和8)年の昭和三陸大津波の話や身の上話…。話題も次々と変え、相部屋の避難者も「楽しくて夜も笑いが絶えない」「心が明るくなる」と目を細める。

 田老生まれの田老育ち。昭和の津波で壊滅的な被害を受けた地元をよく知り、親からは津波への備えを聞き続けていた。「こんな年だから恥をかいたっていい」と、若い人に自分の経験と思いを伝えたいと思っている。

 「悲しんでいても体が悪くなるだけ。みんなで笑ってがんばっぺし」と語りかけると、また部屋中に笑みが広がった。

【写真=身ぶりを交えながら「94歳だから94馬力で頑張るの」と冗談を言い、同室の被災者を笑わす赤沼ヨシさん=24日午後、宮古市・宮古北高】


2011年4月6日水曜日

4月6日(水)千葉市 晴 気温15℃

 妹家族が訪ねて来た。愛犬は抱きつき大喜び。妻の手づくりお菓子で御もてなし。震災当日の話しを交わした。

 5月下旬の毎年恒例の「絵と戯れる会」(20余年のフランクないろいろな方の集まり)発表会の開催をこのような時期で躊躇してたが、我々仲間、展示会に来て頂く御客様が共に元気になるような発表会が開催できたらの思い、願で会員皆様のご意見で開催することに成った。


発表会まで後、2ケ月弱だが、今週末、福島保原に戻り、早々キャンバスに向かい2点の作品に取り込む予定だ。会員皆様に開催要旨のご連絡メールを発信した。例年お願いしてる、福島民報新聞、福島民友新聞、福島シテー情報誌、福島リビング紙への掲載依頼メールを出した。又、展示会案内葉書500枚の印刷依頼を行った。

 又、帰宅後、100坪の家庭菜園はジャガ芋の植付けの為、千葉に来る前に苦土石灰、米糠を撒いて来たので少し遅いが、早々に種芋を植え付ける予定だ。プロの農家では福島県のHPで放射能影響で、稲作付の遅延の推奨、土の耕しも自粛の通知の記載が有った。農家は本当にやるせない状況であり、死活問題で有る。自然は我々人間の都合(原発事故、対処方法は人災事故と言っても過言では無い)とは無関係に着実に季節を刻んでいる。自然は待ってくれない。

 早急な原発事故の沈静化を切望する。同時に、先日のブログにも載
せたが、東大医療チームの発言を政府は真剣に検討し、癌に成る確立が今回の事故発生以前との差が、多く見ても50%から51%に成るだけで、絶対に安全だの示唆を考えるべきだ。

 政府は万が一の事態の責任逃れ、自己防衛の姿勢から、人体には影響が無いが、自主的に避難して欲しいの通達では市民は混乱するだけだ。愚かな通達指示方法は大前研一の言を待つまでも無く、農家、漁師、他、多くの市民の事を考えての慎重な発言、指示であるべきだ。安易な指示は、その後の莫大な補償問題と成り、増税、赤字国債の増発等、自らの首を絞めることに成り、又、日本全市民、世界の市民を混乱に陥れる。

 保原に帰宅後、直ぐに、伊達市社会福祉協議会、近くの教育センター、先輩方、友人を訪問、福島県庁職員、伊達市役所職員の友人達と相談して、今後のボランテイアの有り方を相談する予定だ。”今やらなければ、何時やる”を常に自問し、自己を鼓舞させて行きたい。

 今回の大震災復旧、復興は政府、県、市の行政だけでは対応できない、想像を絶する長期に渡る人力、知力、他の総動員が必要で、国は非常事態宣言を出し、新たな災害対策法を策定し、各企業、各自の被災状況に応じた、企業、市民等に相応の負担(人、物、金)を課すことを、丁寧な説明で、早期の実施が必要と考える。単なる復興では無く、例えば原発近郊での復旧は放射能の土壌汚染等で不可なので、地場産業の他地域への転換等の新たな理想郷を描いた、再建計画が必要だ。