2012年4月9日月曜日

 始めて拝聴したが、非常に人間臭い坊さん(長老)だ。言葉を飾らず、ストレートな少し乱暴な話し方(流暢な関西弁)は親近感があり、人を引き付けると同時に誤解を与えかねない。彼の誠実さを理解し、くみ取るには直接の対話が必要と感じた。

 長老の説く”初期仏教”は仏陀の本来の素朴な教えで、原始仏教、又は根本仏教と呼ばれている。仏陀の悟りは単純、明解で、「生きることは苦しみである」、「一切が止まることを知らない無常である」ゆえに、現状に囚われず、今を最大限に生きるしかない。と、説法する。が、煩悩欲求多き、私を含む大多数の一般凡人は欲求の奴隷と成り、苦しみもがいている。長老は輪廻転生で天国に行ったとしても、そこで生きるのであれば、やはり苦しみであると説く。神、来生は無いと長老は話す。自分が与えられた宿題の回答を出すしかないと話す。非常に厳しい合理的な考え方で、正に”初期仏教”の思想だ。

 あまりにも厳しい教え(正統であるとしても)なので、その後、大乗仏教等で、日本に伝来し、自力、他力等の多くの宗派に分かれたが、如何に万民に優しく仏陀の教えを理解させるかの工夫の行きつく先だった。

 今回の講演は仏陀の基本思想に触れ、新鮮であったが、今回の大震災で、それぞれに家族との死別、生き別れ、バラバラな生活・・・・・等の被災者との対話では、仏陀の基本思想を単純に説法では理解を得られない。長老が被災地を回り、共感を得たのは、説法の内容では無く、全人格的な長老の態度が相手を勇気付けたのでは無いかと推察する。


アルボムッレ・スマナサーラ長老講演会 『いつだって逆境 それでも「くじけない」心がまえ』in福島

 大震災から一年が経過したが、福島は放射能汚染、風評で先が見えない日々を暮らしてる。
空気を吸い、雨に打たれ、日差しを浴び、土に手を触れる。何でもない自然との戯れの裏に潜む放射能の不気味な笑みを感じる。

 復興への取り組み、ボランテイア、道を見失なわない為にも、彼女の言葉を噛みしめたい。
今朝の保原は春を感じさせる穏やかな風がなびいてる。

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「マザー・テレサへの質問」
      
       
          
        五十嵐薫(一般社団法人ピュア・ハート協会理事長)



かつてある新聞記者がマザー・テレサに
こんな質問をしたそうです。


「あなたがたったいま死にかけている人を
助けて何になるのですか? 

 この人は必ず死ぬのですから、
 そんなことをしても世の中は変わらないのではないのですか」


と。マザー・テレサは毅然としてこう答えられました。


「私たちは社会を変えようとしているのではありません。
 いま、目の前に餓えている人がいたら、
 その人の餓えを満たしてあげる。
 ただそれだけでいいのです。


 確かに、そのこと自体で世の中は変わらないでしょう。
 でも、目の前に渇いている人がいれば、
 その渇きを満たすために私たちはそのいのちに仕えていくのです」



彼女は別の場所ではこうも言っています。


「私たちのやっていることは僅かな一滴を
 大海に投じているようなものです。
 ただ、その一滴なくしてこの大海原はないのです」。


私たちのレインボー・ホーム
(五十嵐氏がインドに設立した孤児たちの家)もそうありたいのです。

人は「インドで僅か十人、二十人の親のない子供たちを
助けてどうなるのですか。

世界にはもっとたくさんの孤児がいるのに」と言うかもしれません。
しかし、目の前で「寂しい」と泣いている子供たちがいるのです。
それは私たちにとってかけがえのないいのちであり、
自分自身なのです。

そのいのちをそっと抱きしめてあげるだけでよいのです。

ボランティアとは、自発的に無償で他に奉仕することを
意味するのですが、その奥には


「人間は他のいのちに仕えるとき、
 自分のいのちが最も輝く」


という、生命の法則を実践で知ることに意味があると思います。