始めて拝聴したが、非常に人間臭い坊さん(長老)だ。言葉を飾らず、ストレートな少し乱暴な話し方(流暢な関西弁)は親近感があり、人を引き付けると同時に誤解を与えかねない。彼の誠実さを理解し、くみ取るには直接の対話が必要と感じた。
長老の説く”初期仏教”は仏陀の本来の素朴な教えで、原始仏教、又は根本仏教と呼ばれている。仏陀の悟りは単純、明解で、「生きることは苦しみである」、「一切が止まることを知らない無常である」ゆえに、現状に囚われず、今を最大限に生きるしかない。と、説法する。が、煩悩欲求多き、私を含む大多数の一般凡人は欲求の奴隷と成り、苦しみもがいている。長老は輪廻転生で天国に行ったとしても、そこで生きるのであれば、やはり苦しみであると説く。神、来生は無いと長老は話す。自分が与えられた宿題の回答を出すしかないと話す。非常に厳しい合理的な考え方で、正に”初期仏教”の思想だ。
あまりにも厳しい教え(正統であるとしても)なので、その後、大乗仏教等で、日本に伝来し、自力、他力等の多くの宗派に分かれたが、如何に万民に優しく仏陀の教えを理解させるかの工夫の行きつく先だった。
今回の講演は仏陀の基本思想に触れ、新鮮であったが、今回の大震災で、それぞれに家族との死別、生き別れ、バラバラな生活・・・・・等の被災者との対話では、仏陀の基本思想を単純に説法では理解を得られない。長老が被災地を回り、共感を得たのは、説法の内容では無く、全人格的な長老の態度が相手を勇気付けたのでは無いかと推察する。
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