2012年7月23日月曜日

福島の放射能との戦いは終わらない

今日、伊達市から全市民に積算線量計ガラスバッチが郵送配布された。

男性、女性用で色分けされている。
子供達には去年から配布され、首からぶら下げて登校してる。

当面、1年間の測定で、3月毎に次回のガラスバッチが郵送され、回収を行うそうだ。

外部被爆の線量を知ることで、安心感を持って、健康生活をして欲しいとの行政の配慮だ。

安全、安心とは何だろう?結局は比較論で、何に対しての安心、安全かである。又、その持続性、将来性も問われる。
客観的な科学的判断と、それを受入れる各個人の受け取り方の感情問題である。

 近くの放射能の高い小学校へ定期的に子供達へ教育補助のボランテイアに行ってるが、そこの教師から個人的な問題ですが、と前置きされ相談された。その教師の住む地域は放射能はそんなに高くは無いが、幼稚園の子供が居るので、更に線量の低い地域へ家族で引越し、アパート生活してる。元の新築持家から学校までの通学通勤は近かったが、今は約1時間の通勤時間を要してる。元の場所の近くには両親が住んでおり、毎日、孫と遊ぶのを楽しみにしてた。

 新築の我が家のローン返済、今のアパート借家費用、両親から離れての生活、毎日の遠距離通勤、他、問題が多いが、子供を放射能から遠ざけることを最優先で考え、転居をしたが、今後どうすれば良いかの相談だった。

 安心、安全とは何か?答えは困難だが、言えることは、子供の幸せとは何か?である。例えば、条件にもよるが、単純なる子供の健康を考え、子供を両親、家族から隔離して生活させたならば、子供は返って、健康を確保できないかもしれない。現在の環境の中で、客観的、科学的に判断し、安全、安心ならば、100%保証が無くリスクを伴うが、子供への最重要な愛を充分に注ぐことの出来る環境選択が出来るならば、それが、自然なことだと思う。

 福島の現在の放射能汚染の風評対策が見つからない。結局は各自が毎日をどの様に生活するかを真剣に考えて生きるしか道は無い。

 自然が引き起こした大災害、自然は責任を取って、自然の力で、又、素晴らしい自然環境を取り戻してくれ。人間は微力だが、少しずつ出来ることから、手を付けて行く。





2012年7月20日金曜日



今日、楽天の代金引換の宅急便で届いた。何時もは本の購入をアマゾンでするが、扱い書店が代引きを扱って無いので、楽天を利用した。

クロッキーを毎月、仙台から来る若い女性モデルで、5分、10分、20分等で各種ポーズ素描を3時間、仲間20名程で楽しんでるが、仲間の絵は皆、キャリアの有る描き方だが、自分はどうしても女性裸婦が男性的なゴツゴツとした感じと成る。同じような印象を受けたのが、偶然、絵の指導先生が持ち込んだ「エゴン・シーレ」の画集で、その迫力に圧倒され、今回購入した。

裸婦が持つ、性的な発信は隠すことが出来ない。それを、ストレートに芸術性有る表現で、観る者に感動を呼び起こす。風景、生物、人物・・・等、目前の事象を、観たままの力強いインパクトを素直に集中表現し、なお且つ、その想い、感情の訴えを表されたら、幸せだ。邪念が全てを狂わせる。

ありのままの目前の事象、自然、生活を受容し、今、生きてることの実感、驚き、感謝。
特別な事を望みがちだが、平凡なる時の流れを楽しめる自然体への修業の毎日である。

今朝は毎週時間が有れば、支援させて頂いてる、重度心身障害者の2時間程の散歩引率ボランテイアをさせて頂いたが、彼らはもうこの施設に10年余り通ってるが、特殊分野については驚異的な脳の発達(記憶力、絵の表現、絶対音階、他)が有り、先日、やはり、毎月、支援させて頂いてる小学校の特殊学級生徒(自閉症、他)も同様に有る分野の脳が異常に発達してる。子供達は邪念無く、有るがままの事象に素直に驚き、喜び、恐怖、等の感情を表現する。幼児もそうだが、人間本来は自然の中で、生きてるのだが、知らず知らずにそれを忘れ、傲慢と成り、欲望の虜に成り、自滅し、苦悩してる。


いろいろなことを考えさせられた画集である。

2012年7月5日木曜日

久しぶりに福島県立美術館へ特別展示絵画展を観に行った。県立図書館が広大な信夫山をバックに併設されており、美しい美術館だ。平日で観客も少なく、ゆっくりと鑑賞でき、至福の時間を持て、リラックスした気分になれた。


”ベン・シャーン クロスメデイア・アーテイスト”展。
入口で受け取ったパンフレットには
アメリカのユダヤ人・ベン・シャーン(1898-1969)は、自分の生きる社会や時代を見つめ表現し続けた画家です。約20年ぶりの回顧展になる本展では、これまで日本ではあまり紹介されることのなかった写真を含め、絵画やグラフィック・アートなど様々なジャンルの作品を紹介し、その画業を振り返ります。」


普通の画家の作品とは異なり、社会の混乱に犠牲となった、冤罪者、少年犯罪者、病院の患者等、苦悩の真理状態を読み取る、人物像が全てだった。


写真を数多く撮り、各種の写真のイメージを合成して、絵画作品を、独特の色彩で、平面的な描写で有りながら、人物の目つき、苦悩の手、足の描写等で、作品の前で釘づけとなり、なかなか、立ち去りがたい。

 来年の「絵と戯れる会」の作品発表の構想を考えてるが、如何に印象を力強く表現しなければならないかの、ヒントを得たような気がした。