福島の放射能との戦いは終わらない
今日、伊達市から全市民に積算線量計ガラスバッチが郵送配布された。
男性、女性用で色分けされている。
子供達には去年から配布され、首からぶら下げて登校してる。
当面、1年間の測定で、3月毎に次回のガラスバッチが郵送され、回収を行うそうだ。
外部被爆の線量を知ることで、安心感を持って、健康生活をして欲しいとの行政の配慮だ。
安全、安心とは何だろう?結局は比較論で、何に対しての安心、安全かである。又、その持続性、将来性も問われる。
客観的な科学的判断と、それを受入れる各個人の受け取り方の感情問題である。
近くの放射能の高い小学校へ定期的に子供達へ教育補助のボランテイアに行ってるが、そこの教師から個人的な問題ですが、と前置きされ相談された。その教師の住む地域は放射能はそんなに高くは無いが、幼稚園の子供が居るので、更に線量の低い地域へ家族で引越し、アパート生活してる。元の新築持家から学校までの通学通勤は近かったが、今は約1時間の通勤時間を要してる。元の場所の近くには両親が住んでおり、毎日、孫と遊ぶのを楽しみにしてた。
新築の我が家のローン返済、今のアパート借家費用、両親から離れての生活、毎日の遠距離通勤、他、問題が多いが、子供を放射能から遠ざけることを最優先で考え、転居をしたが、今後どうすれば良いかの相談だった。
安心、安全とは何か?答えは困難だが、言えることは、子供の幸せとは何か?である。例えば、条件にもよるが、単純なる子供の健康を考え、子供を両親、家族から隔離して生活させたならば、子供は返って、健康を確保できないかもしれない。現在の環境の中で、客観的、科学的に判断し、安全、安心ならば、100%保証が無くリスクを伴うが、子供への最重要な愛を充分に注ぐことの出来る環境選択が出来るならば、それが、自然なことだと思う。
福島の現在の放射能汚染の風評対策が見つからない。結局は各自が毎日をどの様に生活するかを真剣に考えて生きるしか道は無い。
自然が引き起こした大災害、自然は責任を取って、自然の力で、又、素晴らしい自然環境を取り戻してくれ。人間は微力だが、少しずつ出来ることから、手を付けて行く。