2013年1月27日日曜日
近くの障害者施設、他に小学校の特別支援学級で子供達のボランテイア支援をさせて頂いており、いろいろ考えさせらていて、なかなか解が見つからない。心温まるヒントを頂いた文章を見つけましたので、紹介させて頂きます。
「あずさからのメッセージ」
是松いづみ(福岡市立百道浜小学校特別支援学級教諭)
十数年前、障がいのある子がいじめに遭い、
多数の子から殴ったり蹴られたりして亡くなるという
痛ましい事件が起きました。
それを知った時、私は障がい児を持った親として、
また一人の教員として伝えていかなくては
ならないことがあると強く感じました。
そして平成十四年に、担任する小学五年生の学級で
初めて行ったのが「あずさからのメッセージ」という授業です。
梓は私の第三子でダウン症児として生まれました。
梓が大きくなっていくまでの過程を
子供たちへの質問も交えながら話していったところ、
ぜひ自分たちにも見せてほしいと
保護者から授業参観の要望がありました。
以降、他の学級や学校などにもどんどん広まっていき、
現在までに福岡市内六十校以上で
出前授業や講演会をする機会をいただきました。
梓が生まれたのは平成八年のことです。
私たち夫婦はもともと障がい児施設で
ボランティアをしていたことから、
我が子がダウン症であるという現実も
割に早く受け止めることができました。
迷ったのは上の二人の子たちにどう知らせるかということです。
私は梓と息子、娘と四人でお風呂に入りながら
「梓はダウン症で、これから先もずっと自分の名前も
書けないかもしれない」
と伝えました。
息子は黙って梓の顔を見つめていましたが、
しばらくしてこんなことを言いました。
さあ、なんと言ったでしょう?
という私の質問に、子供たちは
「僕が代わりに書いてあげる」
「私が教えてあげるから大丈夫」
と口々に答えます。
この問いかけによって、一人ひとりの持つ優しさが
グッと引き出されるように感じます。
実際に息子が言ったのは次の言葉でした。
「こんなに可愛いっちゃもん。
いてくれるだけでいいやん。
なんもできんでいい」。
この言葉を紹介した瞬間、
子供たちの障がいに対する認識が
少し変化するように思います。
自分が何かをしてあげなくちゃ、と考えていたのが、
いやここにいてくれるだけでいいのだと
価値観が揺さぶられるのでしょう。
さて次は上の娘の話です。
彼女が
「将来はたくさんの子供が欲しい。
もしかすると私も障がいのある子を産むかもしれないね」
と言ってきたことがありました。私は
「もしそうだとしたらどうする?」
と尋ねました。
ここで再び子供たちに質問です。
さて娘はなんと答えたでしょう?
「どうしよう……私に育てられるかなぁ。お母さん助けてね」。
子供たちの不安はどれも深刻です。
しかし当の娘が言ったのは思いも掛けない言葉でした。
「そうだとしたら面白いね。
だっていろいろな子がいたほうが楽しいから」。
子供たちは一瞬「えっ?」と息を呑むような表情を見せます。
そうか、障がい児って面白いんだ――。
いままでマイナスにばかり捉えていたものを
プラスの存在として見られるようになるのです。
逆に私自身が子供たちから教わることもたくさんあります。
授業の中で、梓が成長していくことに伴う
「親としての喜びと不安」には
どんなものがあるかを挙げてもらうくだりがあります。
黒板を上下半分に分けて横線を引き、上半分に喜びを、
下半分に不安に思われることを書き出していきます。
中学生になれば勉強が分からなくなって困るのではないか。
やんちゃな子たちからいじめられるのではないか……。
将来に対する不安が次々と挙げられる中、
こんなことを口にした子がいました。
「先生、真ん中の線はいらないんじゃない?」。
理由を尋ねると
「だって勉強が分からなくても周りの人に教えてもらい、
分かるようになればそれが喜びになる。
意地悪をされても、その人の優しい面に触れれば喜びに変わるから」。
これまで二つの感情を分けて考えていたことは
果たしてよかったのだろうかと
自分自身の教育観を大きく揺さぶられた出来事でした。
子供たちのほうでも授業を通して、
それぞれに何かを感じてくれているようです。
「もし将来僕に障がいのある子が生まれたら、
きょうの授業を思い出してしっかり育てていきます」
と言った子。
「町で障がいのある人に出会ったら
自分にできることはないか考えてみたい」
と言う子。
「私の妹は実は障がい児学級に通っています。
凄くわがままな妹で、喧嘩ばかりしていました。
でもきょう家に帰ったら一緒に遊ぼうと思います」
と打ち明けてくれた子。
その日の晩、ご家族の方から学校へ電話がありました。
「“お母さん、なんでこの子を産んだの?”と
私はいつも責められてばかりでした。でもきょう、
“梓ちゃんの授業を聞いて気持ちが変わったけん、
ちょっとは優しくできるかもしれんよ”と、
あの子が言ってくれたんです……」。
涙ながらに話してくださるお母さんの声を聞きながら
私も思わず胸がいっぱいになりました。
授業の最後に、私は決まって次の自作の詩を朗読します。
「あなたの息子は
あなたの娘は、
あなたの子どもになりたくて生まれてきました。
生意気な僕を
しっかり叱ってくれるから
無視した私を
諭してくれるから
泣いている僕を
じっと待っていてくれるから
怒っている私の話を
最後まで聞いてくれるから
失敗したって
平気、平気と笑ってくれるから
そして一緒に泣いてくれるから
一緒に笑ってくれるから
おかあさん
ぼくのおかあさんになる準備をしてくれていたんだね
私のおかあさんになることがきまっていたんだね
だから、ぼくは、私は、
あなたの子どもになりたくて生まれてきました。」
上の娘から夫との馴初めを尋ねられ、
お互いに学生時代、障がい児施設で
ボランティアをしていたからと答えたところ
「あぁ、お母さんはずっと梓のお母さんになる
準備をしていたんだね」
と言ってくれたことがきっかけで生まれた詩でした。
昨年より私は特別支援学級の担任となりましたが、
梓を育ててくる中で得た多くの学びが、
いままさにここで生かされているように思います。
「お母さん、準備をしていたんだね」
という娘の言葉が、より深く私の心に響いてきます。
2013年1月25日金曜日
2013年1月24日木曜日
作者:スティーヴ・ハミルトン
MWA賞最優秀長篇賞、CWA賞スティール・ダガー賞など世界のミステリ賞を獲得した話題作。このミステリーがすごい!2013年版海外編。2012年週刊文春ミステリーベスト10海外部門第1位。
日経新聞に、閉ざされた少年の心を絵を通して開かれて行くとの記事が有り、買い求めた。
570頁の単行本、ミステリー長編小説を一気に読み上げた。久しぶりの快感だ。
今日も、何時ものように近くの小学校へボランテイア支援させて頂いた。発達障害児童の特別支援学級、言葉で自分を表現するのが困難な子供達の絵、工作等が素晴らしい表現力を持って要るのを感じていた。又、先のブログで記したが、児童館での若き臨床心理士の指導で、子供達とコラージュ作品作りをした時に、彼といろいろと話したことも有り、又、私自信も絵を描いており、以前より臨床美術に興味が有ったので早々に読んだ。
読み終えたその日、テレビニュースで大島渚監督の訃報が有った。奇遇か?この小説の主人公
は小説の末部に明らかにされるが、何故に8歳の時に言葉を失って、高校生の時に命に代え難い恋人と出会い、恋人も母親が自殺のショックで心を閉ざしていたが、互いに絵の交換日記交流で心を通わせて行くが、心、体を許した彼女に対してさえ、声を発することが出来なく成った原因が、彼の両親の衝撃的な死にざまに有った。その死にざまは、まさしく、監督の映画「愛のコリーダー」で表現された、阿部定事件の男の死にざまと同じだった。もしかしたら、作者のスティーヴ・ハミルトンはこの映画に誘発されたか?
今日の小学校で子供達と操り人形製作、絵本読み、鬼ごっこ等を一緒に楽しんだが、それぞれの子供達の新たな素晴らしい個性が発見出来て嬉しかった。明日もお手伝いするが、又、どの様な発見が有るのかな?来月は磐梯山のスキー場で、子供達と雪遊びの予定が有り、今から楽しみだ。
2013年1月12日土曜日
2013年1月7日月曜日
息子が正月休暇で帰省したので、何時ものように彼の好きな映画館、高校時代の学校脇の福島フォーラム。彼が園子温監督作品はぶっ飛んでいて、面白いよ、と言ったので、一緒に観た。
福島原発事故後の架空の場所での再原発事故で、家族がちりじり離れに成り、未来の見えない暗い映画だが、今も続く放射能下の福島県民の苦しさをストレートに表現されていた。タイトルの『希望の国』は何を暗示してるのか?
ストーリー
「恋の罪」「ヒミズ」の園子温監督が、大地震で離れ離れになりながらも、それぞれの愛を貫く3組の男女の姿をオリジナル脚本で描く。酪農家の小野泰彦は、妻や息子夫婦と平和でつつましい日々を送っていた。一方、隣家の息子は家業を手伝わずに恋人と遊んでばかり。そんなある日、大地震が発生し一帯の住民は避難を強いられるが、泰彦らは長く住み着いた家を離れることができない。そんな中、息子の妻いずみが妊娠していることが発覚する。主人公・泰彦を夏八木勲が演じ、その妻役に大谷直子。息子夫婦を村上淳と神楽坂恵、隣家の息子とその恋人を清水優、梶原ひかりが演じる。
映画『桃さんのしあわせ』 日本、中国の予告編
久しぶりに中国映画を観た。老いの終末を、何処にも、誰にも有る日常の香港のアパート生活、養老院、家族愛を自然な描写で描かれていた。10余年中国で生活し、彼らの日常生活を思い出し、何故かしら涙が溢れでた。中国人のストレートな優しさが滲み出た映画だ。食事、プレゼント風景が多く映し出されたが、常に相手を思いやる、小さな仕草が郷愁を呼ぶ。主演の劉德華のカラオケは良く歌った。彼の中国での人気は若者の心を引きつけている。上映されると、中国ネットで大いに話題となり、家族とは?親孝行とは?友人とは?、親戚とは?等、人間本来の感情を呼び起こした。
ストーリー
60年間、同じ家族に仕えてきたメイドの桃(タオ)さんが、ある日脳卒中で倒れた。ごく当たり前に身の回りの世話をしてもらっていた雇い主の息子・ロジャーは、その時初めて、桃(タオ)さんがかけがえのない人だったことに気づき、桃(タオ)さんの介護に奔走することになる…。
キャスト
アン・ホイ(許 鞍華)監督
中国人の父と日本人の母(大分県出身)を持つ。10代の頃、母が日本人であることを知り、当時の反日教育の影響もあって反感を持ったが、徐々に和解していった。代表作の『客途秋恨』
登録:
投稿 (Atom)