2013年3月22日金曜日
今日は何時もボランテイアお手つだいさせて頂いてます小学校から卒業式の招待状を受領しましたので、参列しました。我が子、3人の卒業式にはサラリーマン生活まっただ中で、参列出来ませんでしたが、とても感動した式典でした。
1年半前からお手伝いさせて頂き、いわき、新潟への宿泊移動教室、スキー教室、普段の勉強のお手伝い等、いろいろなことが思い出されました。
父兄の方々は6年間の我が子の苦労が思い出され、大きく成長した様子を見て、皆、ハンカチで涙を拭ってました。
私のお手伝いさせて頂いてる特殊学級の生徒さん達は、初め小学校を卒業して中学校へ進学出来るか心配しておりましたが、皆、素晴らしく成長し、立派に卒業できました。先生方の努力は素晴らしいと敬服しました。
校長先生のご挨拶にもありましたが、今回の大震災、放射能汚染を受け、大変な環境を余儀なく経験した生徒達でしたが、皆、しっかりと将来の夢を父兄の前で宣言してました。特に女子さえも地域に役に立つ消防士に成りたいと力強く述べていたのには感激しました。
清々しい卒業式に参列させて頂きありがとうございます。児童皆が将来に向かって進むことを信じてます。
2013年3月18日月曜日
先日の3.11 1000人の追悼式典に参列し、ゲスト出演の西田敏行のこの映画出演の想いを聴き、福島駅脇のワーナーへ観に行った。
初めから最後まで涙が止まらず、回りの観客も皆同様にすすり泣きが聞こえた。
次から次へと体育館の遺体安置場へ泥まみれの遺体が運び込まれ、遺体確認の遺族が泣きじゃくる。どのようにこの状況に向き合うべきかを教えられた。
映画に映し出されたが、以前、伊達市に赴任された警察署長の現場対応の話を思い出された。
当時の震災時刻は丁度、学校の下校時間の為、ランドセルを背負った小学生の遺体が多く発見された。火葬場は停電の為、遺体が放置され、又、棺桶も少なく、署長の話だと、関東地方から運び込まれた棺桶は放射能で立ち入り禁止と成った場所には関東からの運転手は入ろうとしないので、署長自ら車に乗り込んで誘導した、棺桶は釘で打つのでは無く、全て組み込み式なので、大変だった、又、ドライアイスが間に合わないので、大きな氷をハンマーで割って使用した。一体々、DNA鑑定、歯、他、身体の特徴を調べ記録した。
西田敏行は遺体に何度も話しかけていた。”死骸では無く、ご遺体”として接することが、人間の尊厳を尊重するのだと、言っていた。
誰にも訪れる死。しかし、常に生存してると同じように呼びかけ、その時、死者は甦る、遺族に寄り添う、いろいろなことを教えられた。
あらすじ: 東日本大震災の発生直後。定年まで葬儀関係の仕事に就いていた相葉常夫(西田敏行)は、仕事柄遺体に接する機会が多かったことから、遺体安置所でボランティアとして働くことになる。一人一人の遺体に優しく話し掛ける相葉の姿を見て、膨大な遺体に当初は戸惑っていた市職員たちも、一人でも多く遺族のもとに帰してあげたいと奮闘し続ける。
2013年3月17日日曜日
2013年3月12日火曜日
大震災から丸2年が経ちました。
福島市音楽堂での全日本仏教青年会の
主催の追悼式典に参加しました。
全国から大勢の僧侶が集結し、
追悼慰霊・復興祈願法要(3回忌)、復興イベント
西田敏行、他、全国でも有名なパイプオルガン
(よく遠方からパイプオルガン演奏収録に来ます)
追悼演奏が行われました。
復興イベントはサブタイトルが”音と祈り、未来への光”の名のごとく、読経は法螺、雅楽、木剣、巫女舞、大太鼓、パイプオルガン
等の演奏で、素晴らしいものでした。会場参列者約1000名の各自のLEDキャンドルを灯しての黙祷。
宗派を超えて、仏教(曹洞宗、日蓮宗、真言宗、浄土宗)、神道、等の各宗派僧侶約100名、参列者全員の祈りでした。
福島県出身の西田敏行さんの話しは出演してるNHK大河ドラマ”八重の桜”、上映中の”遺体”の出演の想い、日本伝統文化の”和”、身内の死、海、山、川等の美しき自然、天災の自然、鳥、虫、草花までも全てを一体として受け止める日本人の崇高なる精神の話でした。
2013年3月3日日曜日
近くの小学校の特殊学級のお手伝いをさせて頂いていますが、子供は何かのきっかけで、劇的に変化すると実感してましたが、今日のテレビと日経新聞でそれに関することが有り、やはりと、確信しました。
近くの学校の生徒は自己表現が困難で、ときおり、パニックと成ります。しかし、じっくりと、耳を傾け、丁寧に相手の目を見て、何を訴えたいのかを感じとり、その素晴らしさを発見して励ますと子供は目を輝かせ、信頼を寄せて来ます。どのような子供にも本来持っている素晴らしい個性があると実感する。
テレビの内容は女子生徒の素直な態度、行動に少年が心を開いて行く様子だった。
3月2日 日経新聞
教えることは生きがい
小澤征爾、復帰前に語る 若手指導の成果を実感
近くの学校の生徒は自己表現が困難で、ときおり、パニックと成ります。しかし、じっくりと、耳を傾け、丁寧に相手の目を見て、何を訴えたいのかを感じとり、その素晴らしさを発見して励ますと子供は目を輝かせ、信頼を寄せて来ます。どのような子供にも本来持っている素晴らしい個性があると実感する。
テレビの内容は女子生徒の素直な態度、行動に少年が心を開いて行く様子だった。
小澤征爾の「若い子は翌日になるとそれまでとまるで変わることがある。3日もたつとさらに変わる。伸びる子は本当に伸びる。」彼の真剣な態度、想いが若者の心を瞬時に激変させてる。
昨晩は東京で旧友とフランス料理を楽しみながら、いろいろと歓談したが、自分の生きて来た証をどのように子供に伝えるについて話合ったが、小澤征爾の「教えることは生きがい。大げさに言えば、今まで自分がやってきたことを死んだ後も次の世代に伝えてくれること」彼は指揮者で、それは形に残らず、死んでしまえば、残すことが出来ない。これを若い世代にどのように伝えて行くか?彼の現在取り組んでいることは、必ずや、伝わって行くだろう。
「国際エミー賞」にNHKのドラマ「中学生日記」
2013.2.9 12:27 [TVドラマ]
NHKは9日、世界の優れたテレビ番組に贈られる「国際エミー賞」の子供シリーズドラマ部門で、平成23年9月2日に放送した「中学生日記 転校生シリーズ『僕と君のメロディ』」が最優秀賞に選ばれたと発表した。同部門は今年、新設された。
番組は、吃音の(きつおん)男子生徒の実体験に基づき、ピアノの連弾で同級生と心を通わせる様子を描いたもので、横浜市在住の男子生徒本人が出演した。「中学生日記」は、NHK名古屋放送局が中学生の実体験をもとに制作。
3月2日 日経新聞
教えることは生きがい
小澤征爾、復帰前に語る 若手指導の成果を実感
- 2013/3/2付
療養のため1年間、指揮から遠ざかっていた小澤征爾が活動を再開する。今月下旬には主宰する「小澤征爾音楽塾」のオーケストラ公演が開かれ、8月に開幕する音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」(SKF)ではオペラを指揮する予定。休養中は長年取り組む若手音楽家への指導に心血を注いできた。復帰を前に、教育にかける思いなどを聞いた。
ついに指揮台に復帰する。舞台は恩師・斎藤秀雄の名を冠し、自身が音楽総監督であるSKF(8月12日~9月7日)。ラヴェルの「こどもと魔法」を振ることが先月、明らかにされた。
「この曲は昔、パリ・オペラ座デビューした時(1979年)にもやっているし、ボストン交響楽団、サンフランシスコ交響楽団でもやった。日本フィルハーモニー交響楽団で渡邉暁雄先生の副指揮者をした時に、生まれて初めて取り組んだオペラでもある。僕にとっていわれのある曲で、今とても張り切っている」
2010年に食道がんを公表。手術を経て復帰した後も、我を忘れるほどの満身の力でオーケストラに向かってきた。たびたび肺炎を引き起こし、昨年3月には体力回復のため1年間指揮活動を休止すると発表。リハビリに努めてきた。
休養中も継続していたのが教育だ。小澤は世界的な指揮者の中で際だって指導に力を入れている。米タングルウッド音楽祭では70年代後半から学生を教えてきた。佐渡裕、高関健、クリスティアン・アルミンク、ダニエル・ハーディング、準・メルクル。多くの指揮者が巣立った。
「若い子は翌日になるとそれまでとまるで変わることがある。3日もたつとさらに変わる。伸びる子は本当に伸びる。それを見るとやめられない。教えることは生きがい。大げさに言えば、今まで自分がやってきたことを死んだ後も次の世代に伝えてくれること」
2000年から音楽塾
日本では97年、SKFの企画として室内楽の勉強会がスタート。小澤国際室内楽アカデミー奥志賀に発展し、国外からも若者がやってくる。ある中国人バイオリン奏者は言う。「小澤先生は特殊で特別。いるだけで空気が一変する」。スイスでも05年から室内楽アカデミーが始まった。03年からは「指揮者セミナー」で指揮法を伝授している。
「技術的なことより音楽に対する姿勢みたいなのが伝わるとすごくうれしいね。音楽は結局、細かいことを言うよりも、そういうものの方が大事みたい。どういう音楽がいいものか、どういう姿勢がその作曲家に大事か。そういうことが伝わると教えたかいがある」
2000年には「最後の仕事の道」として「小澤征爾音楽塾」を始めた。恩師ヘルベルト・フォン・カラヤンの「オペラとシンフォニーは車の両輪」という言葉に基づき、オーディションで選ばれた演奏家たちがオペラと交響曲を学び、公演で成果を発表する。
「僕は斎藤先生からオペラについて教わったことが一度もなかった。それをカラヤン先生が見抜いて『絶対やれ』と言って、ザルツブルク音楽祭でモーツァルトの『コシ・ファン・トゥッテ』を指揮させてくれた。それがどのくらい勉強になったか分からない」
若くからオペラ
「音楽塾を始めたころ、日本の子はオペラなんて全然弾いたことがなかった。ウィーンの音楽家は子どものころからオペラで育っている。差がうんとある。自分の例もあるから若いうちにオペラを教えたいと思った」
「音楽塾は世界からプロの歌手を呼んできて学生とやるという、おそらく世界で初めての試み。ウィーンの音楽学校でもやっていない。(半導体メーカーの)ロームの協力の下、アンゲリカ・キルヒシュラーガー、アンナ・ネトレプコら一級の歌手を招くことができた。そうすると、分かる子は歌手の歌い方で学ぶ。ロッシーニの『セビリャの理髪師』をやった時は音楽の軽さを理解して素晴らしかった」
教え子と接する時の小澤は人間味にあふれている。「大丈夫。できるからもう一回やってごらん」と優しく背中を押し、粘り強く付き合う。厳格な師と弟子というより、それぞれがより音楽の芯をつかむための助言者、先導者のようだ。
成果は表れつつある。音楽塾の出身者がサイトウ・キネン・オーケストラに加わり、指揮者セミナーを受講した垣内悠希が仏ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝した。
27日に京都、30日に東京で開く音楽塾の演奏会では垣内が登場する。曲目はドボルザークのバイオリン協奏曲とベートーベンの交響曲第7番。「お客さんの前に立てるか、リハーサルや体調の様子を見ながら決めたい。何か短い曲でも指揮できたら、と思っている」と話す。
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