2011年2月28日月曜日

 今日は雨交じりの雪のみぞれが一日止まず、やまとみんとは散歩に行けず、不満顔でごろごろ横たわってた。私も、その傍らで横になり「盛和塾」の案内小冊子を眺めてたら、左図の本が紹介されていた。

 稲盛和夫氏が経営に大いに悩んでた時に出会った本で有る。陰隲録の著者は袁了凡(中国・明の時代に生きた、軍人、政治家、学者)で、南京・棲霞山に雲谷禅師を訪ねた袁了凡運命(宿命)は変えることが出来、立命することを雲谷禅師から悟る内容で有る。

 この棲霞山は紅葉で有名な場所で石仏が多く安置されており、私が南京で十余年の生活してた折、数回、訪ねたことが有ったが、当時は、このような逸話を知らなかった。

 目の前の事象が知識が無い為、そのまま素通りして行く。今日の日経新聞の安野光雄画泊が座右の書「即興詩人」を紹介してたが、この内容を知り、イタリア旅行をすれば、味わい深いものと成ると感じた。

 ”知らないことの寂しさ、知って何もしない寂しさ”学問の為の学問では意味を成さず、実学としての学問が大切と感じてる。

 日経新聞の私の履歴書に投稿された林原が倒産したことに対する批評記事を見たが、理念経営の困難さが記載されてた。これも志がいくら立派でも、それを実現する実学を知らないと、絵に描いた餅と化す。又、知識だけでは無く、組織をいかに理念達成へ導くかの行動力が問われる。

 どうも、最近の混乱する日本経済状況、今日食べたケーキが美味しかった類の無意味内容、目前の金儲けビジネス紹介、コンサル等の怪しげなSNSネットの氾濫。少し頭を冷やす必要が有る。

 私が座右の銘としたい句は下記で有る。死までは一生懸命の生で有る。
浜までは 海女も蓑着る 時雨かな
詠んだのは江戸時代の俳人、滝瓢水

2011年2月27日日曜日


 今日、福島県北将棋大会に参加した。県内北地区の福島、保原、伊達等の10地方からの参加でA,B各クラスに分かれ、総勢100名の大盛況だった。今回、上位の強豪Aクラスで優勝出来た。4勝1敗の成績だった。

 中国での長期生活では中国将棋(象棋)を楽しみ、中国語が分からずとも、中国人と将棋を通してコミュニケーションが出来た。帰国当初は脳の思考回路が日本将棋を思い出せず、敗戦が続いたが、帰国3年経過し、やっと、日本に馴染んで来たようだ。


 先日、観た映画「太平洋の奇跡」で、日本に留学経験の有る、米国将校が日本人とはどのような人種かを説明する時に、ポケットから取り出した将棋駒で説明してた。
 
 日本将棋はチェス等の他国の将棋ゲームとは異なる、敵の駒を獲得した場合、味方の駒として、戦場に再投入することが出来、駒は捕虜の身で有りながら、元居た自国に向かい、敵方(捕虜国)の益の為、最大限に忠誠を尽くす。

 それ故、日本人は投降して敵方に捕虜に成るくらいなら、自決を選ぶ。以前、NHKテレビドキュメントで第二次世界大戦時、米国へ移民して米国国籍と成った、日系二世が、米国の為に忠誠心の証として戦場で勇敢に戦う姿が多くの米国人に感動を与えた。

 和を尊ぶ大和魂とは少し異なる武士道は上司への絶対服従を全うする。神風特攻隊、腹切りは外国人には理解できない思想で有る。この力強さが戦後の日本を復興させたのでは有るが、ここへ来て、その影で崩壊したものが、大きな問題として社会に噴出している。
 
 今日の日経新聞で、これまでのGDP(国内総生産)指標からGNH(国民総幸福)指標への転換の提言が、実際に実施して成功してるブータン国王王女からの記事を読み、感銘した。今後、詳しくGNHを調査,研究して行きたい。ビジネス、他の行動の成功への指針は”三方善”を基本に置く必要が有ると考えていて、正にマッチングした記事で有った。忠誠を見せる時だ」日系二世達は忠誠の証として軍隊に志願してアメリカのために戦う道を選んだ。

2011年2月25日金曜日


 本日、伊達市のボランテイア基礎講座の第2回目に参加した。視覚障害の体験学習で、目隠しをして、いろいろな物に触り、脇の健常者は介護をする勉強でしたが、良く市販されている紙箱ジュースをストローを外して、差し込み穴を探し、突き刺してジュースを飲むのだが、穴が見つけずらい。

 メーカーは単に頭で考えるのでは無く、実体験で製品開発すれば、思わぬ発想の高齢者、障害者に優しい製品作りが出来、ヒットするだろう。又、社会から受入られ感謝されることだろう。マッケットの拡大が必然分野で有る。

 以前テレビで見たが、東京の有るレストランは入り口から入る時に目隠ししてテーブルに着いて、食事することに成るが、フォーク、皿に何が有るかを手探りで、触角、聴覚、味覚を集中させて食べ物を口に運ぶ事に成るが、体験したことの無い、脳をフル回転させ、テーブルを囲む客達はそれぞれの感触を発言し、大いに楽しめる会食と成り、今や人気レストランで有る。
 
 【認知症は病気の一種で、単なる物忘れとは異なることを勉強した。又、認知症の人への対応心得”3つの「ない」”①驚かせない②急がせない③自尊心を傷つけないを勉強した。又、認知症介護をしている家族の気持ちを理解するでは理解度の最終ステップは「受容」で有り、認知症の症状を含め家族の一員としてあるがままを受入れていく姿は認知症介護を通じて介護者が人間的に成長を遂げた証を勉強した】
 今回の認知症介護の介護する人の人間的資質、品性が問われる事に成り、逆にこの人間性(品性)の基礎がしっかりと身に着く、日頃の勉強、努力が必要と考えさせられた。人間とは単なる生き物では無く、尊厳有る実在であることの基礎的認識が重要と考える。

 障害者への介助の基本姿勢はmay i help you?で寄り添い、介助させて頂けたことへのthank youと述べると、有る人から教えて頂いた。

 中国南京市で長年生活したが、そこには、病院併設の児童養護施設が有って、毎年、南京市の日本企業から募金を募り、寄付に訪問しました。中国では生まれながらの障害児は養育困難な為、路上に捨てられることが有り、この施設はそのような子供達を引取、病気療養、養育をしてたが、米国、他海外の子供の無い親達が施設の子供の養子縁組がなされてましたが、施設では特に重症の児童から先に養子縁組がされていると聞かされた。

 重症障害児は神から意味を持ってこの世に生を受けたので、その子によって、神に最も近づくことが出来るとの思い、信仰心からそれらの子が人気有ると施設園長から聞かされた。

 回りの人々への関わりの基本は、神の意志で有る愛(慈悲)で有り、目の前のあらゆる問題を受容し感謝する心、”無為自然”の境地への修養と感じた。

 高齢化が進み老老介護から認認介護へと進み、独居認知症生活者が急増する時代が到来し、社会生活は急速に不安全化と成る。そのような人々が4人に一人、3人に一人が自分の回りに存在することに成り、自分とは関係ないと、無視できない社会が目前で有る。人間は一人では生きて行けず、隣人との関わりの中で生きていける。又、その絆を意識することが、生きる目的を見失わない唯一の方法かもしれない。

 健常者が喜びを持って、そのような人々へ介護、手助けが必要で、そのような社会的システムの構築が必要だが、行政のその確立を待つ傍から問題が増加しており、先ずは、今から、自らが出来ることから始めねばと感じた。

 昨晩、町内役員会で、本年度の伊達市地域青少年育成推進委員を依頼されたが、始め面倒なので、断ろうと考えたが、これも勉強と考えなおし、微力ながら明日の将来を切り開く青年育成に努力したい。

2011年2月23日水曜日

一昨日、久しぶりにクロッキー勉強会に参加した。保原町在住の大町先生が持参した画集のその力強さに感動させられた。その勢いで豊満な女性モデルを10分程で描いたら、今までに無い表現が出来た。感情が腕、手先に伝わり、コンテがキャンバスを自由に踊った。日常生活の中で、目の前の事象をどのように捕え、感動、喜びとして、脳を覚醒させることが出来たら幸せですね。全ての行動、表現は脳が指示している。


2011年2月22日火曜日

今日、やまとみんと2頭をシャンプーに連れて行き、仕上がるまで、話題の映画を観た。【「太平洋の奇跡」1944年、太平洋戦争末期。サイパンに、アメリカ軍から“フォックス”と呼ばれ、恐れられた一人の日本人、大場栄大尉(竹野内豊)がいた。大場は47人になりながらも仲間の兵士たちと共に16か月間敵に立ち向かい、多くの民間人を守ってきた。やがて彼の誇り高き魂は日本人だけでなく、アメリカ人の心も動かしていく。】

作品イメージ作品イメージ最近観た映画「最後の忠臣蔵」、「武士の家計簿」に共通するテーマーの大和魂、武士道を考えさせられた。中国で長年生活をして来たが、外国人には理解困難な日本人の考え方、生き方。

 今回の作品では国家大義の為、サイパンへ出兵するが、終戦と成り、目的を見失った兵士達がなお且つ山の中から投降せずに踏ん張るのは生きて虜囚の辱めを受けず」で有ったが、投降の条件は、上司からの命令を受けて投降することに成ったが、写真は投降の威風堂々と高らかに軍歌を叫びながらの姿で有る。

 映画の中のワンシーンで、自決をしようとする兵士が家族の写真を見て、思い止まるシーンが有った。「夜と霧」のフランクルがアウシュビッツから生きる力を得たのは、家族への思いで有ることが思い出された。

 今回考えさせられたのは下記で有るが、もう少し、深く掘り下げ思考していきたい。
1)戦争という環境下で家族を残して、母国の為に現地へ赴く、兵士達の信念は?
2)終戦で目的を見失ったときの兵士達の信念は?
3)兵士達、日本人の武士道、大和魂とは?
4)大場大尉が非常時の中で仲間を統率出来たのは?
  
 先日のNHK「無縁社会」で人間が生きて行くことが出来るのは、自分と回りの関係「絆」が意識されることしかない、と言ってたが、多くの人々が生きる目的を見失い希望が見えづらい今日この頃、改めて、素晴らしき日本人の原点を見つめなおし、力強く明日を見据えたいと思った。

2011年2月18日金曜日


 今日、新聞を観て少し驚きました。左が最近、諸橋近代美術館が落札したSalvador Daliで、右が昨年、発表会で展示した私の作品です。
 全くDaliを意識して描いたのでは有りませんが、ヒップの印象が良く似てます。バックの表現がさすがのDaliです。神秘的で、物憂げな女性でありながら、ヒップに誰をも撥ねつける力強さ、セックスアピールが有ります。
 今年5月に毎年恒例の我々仲間の「絵と戯れる会」発表会が開催されますが、今、作品の構想を練っています。

2011年2月6日日曜日



昨日は道徳(ニューモラル)を勉強するセミナーに参加しました。
相手本位の生き方が、結果として自分を輝かせる。

2011年2月3日木曜日

キーワード 発信


 団塊世代(1947年~1949年生まれ)が今後どのように自己実現して行くかは、
本人と取り巻く環境の双方が共にどのように関与、発展するかの問題と思います。
 何故なら、人は一人では生きられない、社会の一員として、その命をどのように
後の者へ続けて行くか?それへの行動が自己実現、社会発展の喜びに繋がるには
どのように行動実現すれば良いかを、悩める団塊世代の一人として模索を開始します。
 
 私が社会の一員で有ることを再認識することが、行動のスタート地点と考えます。
私を取り巻く環境の御蔭で今、現在の自分の命が有ることの喜びを感じ、感謝する
心の発露が、取り巻く環境への対応行動が、自ずと明らかに成ると思います。

 私を取り巻く環境とは先ずは家族で、目の前の妻、愛犬2頭、東京に居る
子供達家族です。隣近所の住人、私が毎日の行動の中で出会う、人々です。
環境には人間関係、他に生活インフラ等の物理的環境も重要であります。
どのように、これらの環境に繋がって行けば良いかの一つのキーワードは
”発信”することだと思ってます。
続きは次のブログへ。


ブログ開始目的


初めまして、ブログを開始しました。13年間の海外勤務、生活を完遂し、帰任帰国3年経過し、日本に少し慣れて来ましたので、今後の進むべき道を模索する為、自己を見つめ、団塊の同世代の励みとなるようなメッセージが発信できたら幸いです。