2011年2月25日金曜日


 本日、伊達市のボランテイア基礎講座の第2回目に参加した。視覚障害の体験学習で、目隠しをして、いろいろな物に触り、脇の健常者は介護をする勉強でしたが、良く市販されている紙箱ジュースをストローを外して、差し込み穴を探し、突き刺してジュースを飲むのだが、穴が見つけずらい。

 メーカーは単に頭で考えるのでは無く、実体験で製品開発すれば、思わぬ発想の高齢者、障害者に優しい製品作りが出来、ヒットするだろう。又、社会から受入られ感謝されることだろう。マッケットの拡大が必然分野で有る。

 以前テレビで見たが、東京の有るレストランは入り口から入る時に目隠ししてテーブルに着いて、食事することに成るが、フォーク、皿に何が有るかを手探りで、触角、聴覚、味覚を集中させて食べ物を口に運ぶ事に成るが、体験したことの無い、脳をフル回転させ、テーブルを囲む客達はそれぞれの感触を発言し、大いに楽しめる会食と成り、今や人気レストランで有る。
 
 【認知症は病気の一種で、単なる物忘れとは異なることを勉強した。又、認知症の人への対応心得”3つの「ない」”①驚かせない②急がせない③自尊心を傷つけないを勉強した。又、認知症介護をしている家族の気持ちを理解するでは理解度の最終ステップは「受容」で有り、認知症の症状を含め家族の一員としてあるがままを受入れていく姿は認知症介護を通じて介護者が人間的に成長を遂げた証を勉強した】
 今回の認知症介護の介護する人の人間的資質、品性が問われる事に成り、逆にこの人間性(品性)の基礎がしっかりと身に着く、日頃の勉強、努力が必要と考えさせられた。人間とは単なる生き物では無く、尊厳有る実在であることの基礎的認識が重要と考える。

 障害者への介助の基本姿勢はmay i help you?で寄り添い、介助させて頂けたことへのthank youと述べると、有る人から教えて頂いた。

 中国南京市で長年生活したが、そこには、病院併設の児童養護施設が有って、毎年、南京市の日本企業から募金を募り、寄付に訪問しました。中国では生まれながらの障害児は養育困難な為、路上に捨てられることが有り、この施設はそのような子供達を引取、病気療養、養育をしてたが、米国、他海外の子供の無い親達が施設の子供の養子縁組がなされてましたが、施設では特に重症の児童から先に養子縁組がされていると聞かされた。

 重症障害児は神から意味を持ってこの世に生を受けたので、その子によって、神に最も近づくことが出来るとの思い、信仰心からそれらの子が人気有ると施設園長から聞かされた。

 回りの人々への関わりの基本は、神の意志で有る愛(慈悲)で有り、目の前のあらゆる問題を受容し感謝する心、”無為自然”の境地への修養と感じた。

 高齢化が進み老老介護から認認介護へと進み、独居認知症生活者が急増する時代が到来し、社会生活は急速に不安全化と成る。そのような人々が4人に一人、3人に一人が自分の回りに存在することに成り、自分とは関係ないと、無視できない社会が目前で有る。人間は一人では生きて行けず、隣人との関わりの中で生きていける。又、その絆を意識することが、生きる目的を見失わない唯一の方法かもしれない。

 健常者が喜びを持って、そのような人々へ介護、手助けが必要で、そのような社会的システムの構築が必要だが、行政のその確立を待つ傍から問題が増加しており、先ずは、今から、自らが出来ることから始めねばと感じた。

 昨晩、町内役員会で、本年度の伊達市地域青少年育成推進委員を依頼されたが、始め面倒なので、断ろうと考えたが、これも勉強と考えなおし、微力ながら明日の将来を切り開く青年育成に努力したい。

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