稲盛和夫氏が経営に大いに悩んでた時に出会った本で有る。陰隲録の著者は袁了凡(中国・明の時代に生きた、軍人、政治家、学者)で、南京・棲霞山に雲谷禅師を訪ねた袁了凡が運命(宿命)は変えることが出来、立命することを雲谷禅師から悟る内容で有る。
この棲霞山は紅葉で有名な場所で石仏が多く安置されており、私が南京で十余年の生活してた折、数回、訪ねたことが有ったが、当時は、このような逸話を知らなかった。
目の前の事象が知識が無い為、そのまま素通りして行く。今日の日経新聞の安野光雄画泊が座右の書「即興詩人」を紹介してたが、この内容を知り、イタリア旅行をすれば、味わい深いものと成ると感じた。
”知らないことの寂しさ、知って何もしない寂しさ”学問の為の学問では意味を成さず、実学としての学問が大切と感じてる。
日経新聞の私の履歴書に投稿された林原が倒産したことに対する批評記事を見たが、理念経営の困難さが記載されてた。これも志がいくら立派でも、それを実現する実学を知らないと、絵に描いた餅と化す。又、知識だけでは無く、組織をいかに理念達成へ導くかの行動力が問われる。
どうも、最近の混乱する日本経済状況、今日食べたケーキが美味しかった類の無意味内容、目前の金儲けビジネス紹介、コンサル等の怪しげなSNSネットの氾濫。少し頭を冷やす必要が有る。
私が座右の銘としたい句は下記で有る。死までは一生懸命の生で有る。
浜までは 海女も蓑着る 時雨かな
詠んだのは江戸時代の俳人、滝瓢水
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