2012年3月3日土曜日

映画『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』予告編


『哲学は本能の下僕』

福島フォーラムで観た。あまりにも有名な二人、来日したことも有る。実存主義、「嘔吐」「第二の性」等、自由、自立、”人間とは何か?”を問いただして、それを実生活で実現しようとした。

 私の知る彼らはプラトニックラブの成功者のイメージだったが、映画を観て、彼らの新たな側面が表現されており、少し驚いた。浮気、同姓愛、嫉妬、性欲、偽善、・・・・・。

 つまるところ、哲学(倫理学)は現象、感情、等を定義(理論付け)できるが、それらをコントロールできない。理論で解った振りの脳は、眼前の感情、生物的本能、等の下僕に成り下がるしかない。
宗教はどうだろう?仏陀、キリスト、等、彼らも眼前の感情、生物的本能、等に悩むが、修業の形で、悩みを昇華(忘却)させてる(悩みは現存として有る)。しかし、親鸞も煩悩になやまされた。

 結局、本能は自然の摂理で、それを、無くすことは不可、当たり前だが、肉体の自然の欲求だから。となると、否定、無視するのでは無く、如何に受入れるかである。他者の感情も含めて、最適な受入とは?
あるがままを受入れる。老子の『無為自然』が一つの解か?

 

0 件のコメント:

コメントを投稿