2011年10月20日木曜日

 

 昨晩、伊達市の「傾聴ボランテイア講座」の第一回を受講した。全5回の講座である。
”聴”とは耳+目+心

 受講者24名中、私がお誘いした人を含めて、男性は3人だった。
何故、このような場には男性が少ないかは、後のブログで考えたいと思う。

 中国単身生活10余年を終え、帰国後、家族の居る、福島で
3.11の大震災に見舞われた。
幸いに私は大きな震災を受けず、生かされてる。
これは偶然の成せる業か?天の計らいか?

 多くの方が亡くなり、被災地では生存者でも避難生活を強いられている。
前回の「ボランテイア基礎講座」の終了式後、帰宅すると大震災に遭遇した。
震災後、いろいろなボランテイア活動をさせて頂いているが、

 生かされてる時間を単に怠惰に過ぎ去ることは、亡く成った方、避難者、私の生を授けた両親にすまないと強く思い、出来ることから、時間を生かそうと考えてる。(日野原重明さんが100歳の
記念番組で、子供達に「生きてるとは何ですか?」「それは、昨日でもなく、明日でもない、今の時間を使える事だよ」と話されていた)

 今回の受講の動機はボランテイアする上での知識習得ではなく、
”人間”の字の意味する、人間存在の基本である、
人と人との間のコミュニュケーション
(広くコミュニテーの形成。放射能除染後、単独で村に戻っても人は生きていけない。
隣近所、商店、他の社会が一体と成って、始めて生活ができる)の基本の
”傾聴”とは何かを知りたいと思ったのが動機である。

 人とは何かを知る上でのヒントが有ると感じた。
家族、友人、回りの人と素晴らしいコミュニュケーションが出来れば、
人生豊かになると感じた。

 第一回の講座内容は二人ずつのペアーで、それぞれ、質問役、聴き役で実験を行った。
実験条件は3種で(①目を合せない、頷かない、返事をしない、②目を合せて頷くだけ、
③目を合せ、頷き、返事をする)行ったが、①では難聴者、無感情者に話しかけてる様で、
コミュニュケーションが成立せず、一方通行で、質問の気力が失せ、結果、無口の暗い、
沈んだムードと成った。

 私は中国赴任当時、全く中国語が話せなかったが、
不充分ながらもコミュニュケーションができた。それは相手の目の動きを注視し、
自分の思いを目で表現することで、「目は口ほどにものを言う」の通り、
お互いの意志が疎通した経験が有る。

 次回の講座が楽しみである。

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