2012年2月12日日曜日

     面白い文章を見つけました。小さな商店が大型量販店の進出に対抗して、利益を確保して発展した実例だ。方策は大型量販店が出来ない「高売り」、「きめの細かいサービス」。客の困ってることに直ぐに対応、対応のしかけのアイデの実践に有った。当たり前のことを実行出来るかは、強い信念、ポリシーの確立

1、現状把握

 1)大型量販店が六店の進出、大型店の粗利率の平均は約十五%、

地元の電気屋が約二十五%程度

 2)売り上げが年に三十%近くも落ちることが見込まれる。

 3)この頃当店は約三万四千世帯のお客様。高齢化も進んでいました。

2、対応への目標の設定

 1)十年間で粗利率を十%上げ、約二十五%から三十五%にする。

3、方策

    1)客層の絞り込み。商圏をなるべく狭くする。ターゲットを五十代からの

富裕な高齢者層に絞り込んで三分の一にまで縮小する。
2)絞り込んだ一万二千世帯のお客様には、他店では真似できないような

サービスをする。

4、具体策の実施

 1)月一度行っていた訪問営業を月三回に増やす。これによって、お客様と

        の深い人間関係ができ、商品が少々高くても購入してくださる方が増える。

           2)訪問の際にお聞きするのは、お客様が生活される上でのちょっとしお
        困り事。

           3)本業とは無関係なことも徹底してやらせていただくようにしたのです。

           4)会社のモットー

「お客様に呼ばれたらすぐにトンデ行く」

「お客様のかゆいところに手が届くサービス」

「たった一個の電球を取り替えるだけに走る」

5、ピンチをチャンスに

  いまある常識やこれまでよしとされてきたことも、
本当にこれでいいのか、と根本から疑ってみることで、
チャンスが見つかることも少なくないはずです。現状を打破する発想は、
ピンチの中にこそ生まれる

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「小さな電気屋の明るい経営術」
   山口勉(でんかのヤマグチ社長)
地元に大型量販店がくる――。
こんな話が私の耳に飛び込んできたのは、
町の電気屋「でんかのヤマグチ」が東京都町田市で、
創業三十年を過ぎた平成八年でした。
「噂で終わってくれ」
と願ったのも束の間、近隣にあっという間に
六店もの大型量販店ができたのです。
三十年以上商売をしてきた経験から、
売り上げが年に三十%近くも落ちることが見込まれ、
事実、三、四年の間に借金は二億円以上にまで膨れ上がっていきました。
まさに、会社が存続するか否かの瀬戸際です。
生き残るためにはどうするか。
悩みに悩んで私が出した結論は十年間で粗利率を十%上げ、
三十五%にすることでした。
当時大型量販店の粗利率の平均は約十五%で、
地元の電気屋が約二十五%程度でした。
周りからは、
「そんなことできっこない」
という声が
大多数でしたが、それ以外に
生き残りの術は浮かばなかったのです。
私がまず決めたのは、大型量販店のように
商品を安売りするのではなく、
逆に「高売り」することでした。
この頃当店は約三万四千世帯のお客様に
ご利用いただいていましたが、
これだけの数では本当の意味で
行き届いたサービスはできません。
そのため商圏をなるべく狭くし、
ターゲットを五十代からの
富裕な高齢者層に絞り込んで三分の一にまで縮小しました。
そして一万二千世帯のお客様には
他店では真似できないようなサービスを
とことんしようと決めたのです。
顧客数を三分の一に減らした分、
月一度行っていた訪問営業を月三回に増やす。
これによって、お客様との深い人間関係ができ、
商品が少々高くても購入してくださる方が
増えるだろうと考えたのです。
訪問の際にお聞きするのは、
お客様が生活される上での
ちょっとしたお困り事についてでした。
ひと昔前の日本では何か困り事があると
隣近所で助け合い、支え合うという
相互扶助の精神が息づいていました。
私が着目したのはこの部分です。
家電製品のデジタル化が進む一方で、
地元民の高齢化もどんどん進んでいました。
当然、家電の操作が思うようにできない方も多くなりますが、
お客様のお困り事はそれだけに限りません。
ご高齢、体の不自由な方は買い物に行くのも大変です。
そのため、当店では本業とは無関係なことも
徹底してやらせていただくようにしたのです。

お客様の留守中には植木の水やりをしたり、
ポストの手紙や新聞を数日保管したり、
大雨では代わりに買い物にも出掛けたり。
これらを我われは「裏サービス」と呼び、
お代は一切いただきません。
会社のモットーも
「お客様に呼ばれたらすぐにトンデ行く」
「お客様のかゆいところに手が届くサービス」
「たった一個の電球を取り替えるだけに走る」

などに定め、
「どんな些細なことでも言ってくださいね」
とお声がけをしながら十数年、社員パート合わせて
五十名で徹底して取り組んできました。
ただしお客様との信頼関係は
一朝一夕にできるものではありません。
私が粗利率の目標達成期間を一年や二年でなく、
十年としたのもそのためです。
悪い評判に比べ、よい評判が広がるには
かなりの時間がかかります。
しかし、この姿勢を愚直に、ひたむきに
貫いていったことで、結果的に
八年間で粗利率三十五%を達成することができました。
その目標達成のため、とにかく無我夢中で
取り組んできた私ですが、
この方向でいけるかなとなんとか思えるようになったのは、
粗利率を十%上げる方針に転換して
三、四年が経過してからのことでした。
経営者として小さな電気屋が六店舗もの
大型量販店との商売競争に勝つために
いったん決断はしたものの、
本当にそんな粗利率をクリアできるのか、
お客様は本当に買ってくださるだろうか、と悩み続けました。
「この判断は正しい」
「いや、ダメだ。うまくいかない」
という思いが年中、頭の中で争いをしているような状態……。
しかし、いつも最後には
「この道が正しいんだ」
という考えが勝ちを占めるよう心掛けました。
肝心なのは一度この道を行くと決めたなら、
途中で迷わないことではないでしょうか。
思うように結果が出ないと、
あの道もこの道もよさそうだと目移りしますが、
そのたびに

「成功するまでやってみよう」と自分に言い聞かせる。
急ぐことはなく、ゆっくりでいいから
とにかく一歩一歩を着実に歩んでいくことが大事だと思います。
会社の存続が危ぶまれた大型量販店の出現から十四年。
しかしこの間、赤字決算が一回もないことには
我ながら驚きます。
さらに、一生返せないと思っていた
二億円以上の借金を三年前に完済することができました。
人間はとことんまで追い詰められ、
地べたを這いずり回るような思いで
必死になって取り組むことで
活路が開けるものなのかもしれません。
もしあの時、量販店がこの町田に来ていなければ、
今日のような高売りをしているとは考えにくく、
そう考えると逆にゾッと寒気すらします。
現在の日本も不況が続き、
出口の見えないような状況が続いています。
しかしデメリットばかりに目を向けて
内向き思考になってしまっては、
せっかく転がっているチャンスも逸してしまいます。
いまある常識やこれまでよしとされてきたことも、
本当にこれでいいのか、と根本から疑ってみることで、
チャンスが見つかることも少なくないはずです。現状を打破する発想は、
ピンチの中にこそ生まれるのだと思います。

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