2011年12月31日土曜日

「サンザシの樹の下で」 中国の巨匠、チャン・イーモウ監督が放つ実話に基づく感動のラブストーリー。文化大革命下の中国を舞台に、引き裂かれる少女と青年の悲恋が映し出される。コン・リーやチャン・ツィイーといった大女優を見出してきた監督が、中国国内を探し回って発掘した新鋭チョウ・ドンユイをヒロインに抜擢。彼女が純真な少女を初々しく演じている。

 先日、久しぶりに福島フォーラムで中国映画「サンザシの樹の下で」を観た。チャン・イーモウ監督の映像は何時も自然体の中からの強烈なメッセージで感動させられる。私が十余年生活した南京でも文化大革命(1966年~1976年)の爪痕がそこここに覆い隠せず散在してた。日本では私が丁度、大学入学した頃から始まり、全学連、学生運動で学校封鎖、社会混乱を経て、入社、高度成長期へと突き進んだ時代だ。文化大革命の約20年後に私は南京に赴任したことに成るが、中国人部下の会社幹部はこの革命を体験した。革命を体験してない若い社員との思想には大きな隔たりがあった。会社での仕事、毎日の生活の中で、この文化大革命の影を見ながら、感じながら、中国人と共に過ごした。
中国映画を観ると何時も郷愁で胸が込み上げてくる。

 現在の上海、北京等の大都市で急成長してる会社のオナーの多くは、この文化大革命時に、米国等の海外に逃れていた者、その子供達が帰国して起業してる。
映画「覇王別姫」も文化大革命の様子を良く描写してるが、その時代が暗ければ暗い程、映像化された物、者は返って、皮肉にも余りにも美しく描き出される。

 その時代を体験してる、体験して無いでは、現状のこの時代の見方の差が出て当然であるが、体験の有無に関わらず、共にこの時代を生きてる。この時代を如何に共通認識で共有できるか?
私の住む福島県伊達市は正に、歴史上の大惨事に遭遇してる。地震、津浪の天災に加えて、おそらく人災(水素爆発は防げた?)の原発事故、風評で先が見えない。
毎日、容赦なく時は刻み、明日は新年を迎える今日は大晦日だ。大惨事も時と共に風化していく。福島の放射能からの脱却は子供、孫へと引き継がれて行く長い道のりで、又、多くの人々の叡智が必要とされ、決して風化させるものではない。如何に後世へ引き続くシステムの構築と定着が必須である。
”人間は2度死ぬ”始めは生命が終わり、次にその人の話題が消滅する時。
常に、被災地、被災者、原発、放射能、等の今回の惨事を話題にし、何が出来るか、自問し、実行して行く後ろ姿を明確にしよう。




100歳、なお且つ、青年。
毎日の時間を無駄にしてないか?どのように使う?
彼は「 自分以外の何かのために使う」大切さ、
それが、生かされてる、責務。

「使命」 とは命を使うことだと、先日の伊達市警察所長のお話の実体験「3.11翌日に部下120人と原町へ飛び、放射能の真っただ中で、背水の陣で遺体250体を手厚く葬ったと。
消防隊、自衛隊も「使命」命を使っていたと話した。

 

「命とは君たちが持っている時間である」
       
       
            日野原重明(聖路加国際病院名誉院長)
        
     
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僕はいま人生において最も大切だと思うことを、
次の世代の人に伝えていく活動を続けているんです。

僕の話を聞いた若い人たちが何かを感じ取ってくれて、
僕たちの頭を乗り越えて前進してくれたらいいなと。

その一つとして僕は二年前から二週間に一回は
小学校に出向いて、十歳の子どもを相手に
四十五分間の授業をやっています。

最初に校歌を歌ってもらいます。
前奏が始まると子どもたちの間に入って、
僕がタクトを振るの。

すると子どもたちは外から来た年配の先生が
僕らの歌を指揮してくれたというので、
心が一体になるんですね。


僕が一貫してテーマとしているのは命の尊さです。
難しい問題だからなかなか分からないけれどもね。

でも「自分が生きていると思っている人は手を挙げてごらん」
と言ったら、全員が挙げるんです。

「では命はどこにあるの」って質問すると、
心臓に手を当てて「ここにあります」と答える子がいます。

僕は聴診器を渡して隣同士で心臓の音を聞いてもらって、
このように話を続けるんです。


「心臓は確かに大切な臓器だけれども、
 これは頭や手足に血液を送るポンプであり、命ではない。
 命とは感じるもので、目には見えないんだ。

 君たちね。
 目には見えないけれども大切なものを考えてごらん。

 空気見えるの? 酸素は? 風が見えるの? 

 でもその空気があるから僕たちは生きている。
 このように本当に大切なものは
 目には見えないんだよ」と。


それから僕が言うのは


「命はなぜ目に見えないか。
 それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。
 死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまう。

 どうか一度しかない自分の時間、命をどのように使うか
 しっかり考えながら生きていってほしい。

 さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために
 使うことを学んでほしい」


ということです。

僕の授業を聞いた小学生からある時、手紙が届きましてね。
そこには


「寿命という大きな空間の中に、
 自分の瞬間瞬間をどう入れるかが
 私たちの仕事ですね」


と書かれていた。
十歳の子どもというのは、もう大人なんですよ。
あらゆることをピーンと感じる感性を持っているんです。

僕自身のことを振り返っても、
十歳の時におばあちゃんの死に接して、
人間の死というものが分かりました。
子どもたちに命の大切さを語り続けたいと思うのもそのためです。

2011年12月14日水曜日

1

3歳で右目を、9歳で左目を失明。
   18歳で聴力も失い、全盲ろうになった福島智氏。

 彼の言葉に何時も衝撃を受ける。

「医師も看護師も、その他様々な職業に就いている人たちも、
問われているのは世界中の人々に対してどうこうではなく、
具体的な他者に対して何ができるかということです。」

   


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        「人生における“問い”」
      
       
            福島智(東京大学先端科学技術研究センター教授)
        
           
      

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私が思うに「修業」というのは、
何らかの苦悩を伴いながら自分を
高みに連れていこうとする営みのこと。

ビジネスでも、学問でも、お寺の勤行なんかでも
そうかもしれない。

しんどいことはしんどいけれど、
そのしんどいことを通して別の喜び、
別の景色が見えてくるということだと思います。


私自身は障害を持ったほうがよかった、
などと単純には言いません。

ただ、たまたま障害を持つという運命を
与えられたことによって、自分自身の人生について、
また障害を持つとは何なのか、
完全でない人間が存在するとはどういう意味なのか、
といったことを考えるきっかけを得ました。

誰かに質問されなくても、絶えずそのことは
心のどこかで考えていることになりますので。

そういう人生における「問い」が
私の心の中に刻まれたという点で、
自分にとってはプラスだったなと受け止めているんです。


完全な答えが出ることはないでしょうが、
重要なことは、問いがあって、
その問いについて考え続けることだと思います。

その部分的な答えとしては、おそらく人間の価値は
「具体的に何をするか」で決まるということ。
何をするかとは、何を話し、何を行うか、すなわち言動ですね。


私が盲ろう者になって指点字の通訳が始まりつつある時に、
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読んだんです。


その作品の中で、ある貴婦人が


「私は人類愛がとても強いのですが、
来世を信じることができません」


と悩みを打ち明ける。

それに対して長老は


「実行的な愛を積むことです。
 自分の身近な人たちを、飽くことなく、
 行動によって愛するよう努めてごらんなさい。
 
 ただし実行的な愛は空想の愛に比べて、
 怖くなるほど峻烈なものですよ」
 
 
と諭すんですが、私もそのとおりだなと思いました。

人間は博愛主義者にはすぐになれるんです。
「全人類のために」という言葉は誰にでも言うことができる。
だけどすぐそばにいる人の困っていることに対しては、
案外冷淡になるんですよね。

だからこそイエスは「汝の隣人を愛せ」と
言われたのではないかと思うんです。


      (略)


医師も看護師も、その他様々な職業に就いている人たちも、
問われているのは世界中の人々に対してどうこうではなく、
具体的な他者に対して何ができるかということです。

2011年12月6日火曜日

 以前、NHKで爆笑問題の爆問学問で取り上げられた、東京大学教授の福島智の興味深い文章を見つけたので、下記紹介します。
 どの様な、環境、現象に対して、ありのままに受入、それを肥やしとして、明日への糧とする、力はどの様に、何処から生じてるのか?
 今、生かされてる喜びを感じ、感謝できる姿勢に努力せねばと、改めて想わされました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
   3歳で右目を、9歳で左目を失明。
   18歳で聴力も失い、全盲ろうになった福島智氏。

   過酷な運命を自らの生きる力へと変え、
   盲ろう者として初の東大教授になるなど、
   障害学の分野に新たな地平を拓いてきた氏の
   お話をご紹介します。


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        「苦悩は人生の肥やしとなる」
       
       
            福島智(東京大学先端科学技術研究センター教授)

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【記者:ご自身では障害や苦悩の意味を
    どのように捉えていますか】


障害を持ったことで、私は障害者のことを
少しは考えるようになりました。

やはり何がしかの関係を持ったこと、
広い意味での当事者になったことが
その大きなきっかけになりました。

また、自分にとっての苦悩は他者との
コミュニケーションが断絶されることでしたが、
これも実際に体験してみて初めて分かったことでした。


苦悩を体験することの凄さは、
苦悩の一つのパターンが理屈抜きに分かること。
もう一つは、苦悩する人たちが抱えているものを
想像しやすくなるということですね。

挫折や失敗をすることはしんどいし、
できるだけ避けたいけれど、
おそらくほとんどの人が人生のどこかでそれを経験する。

いくら避けようとしても必ず何がしかのものはやってくる。
だから来た時にね、



“これはこれで肥やしになる”


と思えばいいんですよ。

私が子供の時代には、まだ日本にも
たくさんあった肥溜めは、
臭いし皆が避けちゃうけれど、
それが肥やしとなって作物を育てた。

一見無駄なものや嫌われているものが、
実は凄く大切なことに繋がるということでしょう。
これは自然界の一つの法則だと思います。



       * *


同じようなことをアウシュビッツの収容所を生き抜いた
フランクルが述べています。

彼はいつ死ぬかも分からないという極限状況の中でも、
苦悩には意味があると感じていたようですが、
それは彼一人だけの思いではなかった。

あの過酷な状況下で、自分以外の他者のために
心を砕く人がいたように、ぎりぎりの局面で
人間の本質の美しさが現れてくる時がある。


もちろんその逆に、本質的な残酷さや醜さを
見せることもありますが、
人間はその両方を持っているわけですよね。

おそらく彼は苦悩をどう受け止めるかというところに、
人の真価、人間としての本当の価値が
試されていると考えたんじゃないかと思うんです。


苦悩というフィルターをかけることで、
その人の本質が見えてくると。


フランクルの主張で最も共感を覚えるのは、
その人が何かを発明したり、
能力が優れているから価値があるということよりも、
その人が生きる上でどんな対応をするか。

苦悩や死やその他諸々の困難に
毅然と立ち向かうことが最高度の価値を持つ、
といった趣旨のことを述べている点です。

したがって、障害を持ったことや病気をしたこと自体に
意味があるのではなく、それをどう捉えるかということ。

身体的な機能不全を経験することも、
それ自体に大きな意味があるんじゃなく、
それを通してその人が自分自身や他者、
あるいは社会、あるいは生きるということを
どのように見るかが問われているのだと思います。

2011年11月19日土曜日


我が100坪の無農薬、有機肥料の家庭菜園で巨大な聖護院カブ(大根)が収獲された。
今、カブ、大根、キャベツ、白菜、ほうれん草、長葱、二十日大根(ミニ)が大豊作で、愛妻の料理が上手い。

 食べきれないので、隣近所、友人にお裾分けして、喜んで頂いてる。放射能の風評で、東京に住む子供達に今年は野菜を送れないのが残念だ。

 肥料は主として、自動精米機の無料の米糠、友人から購入してる竹パウダー、ミミズが、はいずり回り、土を耕してる。私の耕法のポリシーは如何に手を抜いて栽培するかである。天気予報を見て、雨が降りそうな前日に種を撒く。南瓜、西瓜は土地面積狭いので、空中栽培を行ってる。米を購入してる農家から、もみ殻、藁を頂いて、散布してる。

 自然農法の達人の福岡正信「わら1本の革命」は農法の本だが、内容は人生哲学で、私の好きな老子の「無以自然」を実践していて、非常に感銘した。

 殆ど毎日のように、家庭で出る生ごみを畑脇のコンポースに運び、野菜の発育具合、雑草の状態、等、ドリップコヒーを飲みながら、一人、悦に入ってる至福の時を過ごしてる。両隣のプロの畑のお爺さんから、手ほどきを受け、世間話しでのんびりし、鍬で掘り起こし、汗をかいた時は、車で15分程で行ける温泉で疲れを癒す。畑への愛、何事も愛が、喜びへの基本?いろいろな興味があり、愛が発散して、なかなか成就しない。笑。

 朝は愛犬と40分程の散歩だが、最近は霜が下り、起きるのが少し辛いが、朝日を眺めながらは爽快だ。これから、来春に向けて、発酵した生ごみを埋め、土壌作りだ。


2011年11月16日水曜日

 今日、全5回の傾聴ボランテイア講座が終了し、終了証書を頂いた。心理士講師のお話、グループに分かれての傾聴ゲーム経験、近くの特別要介護老人ホームでの傾聴実践、等、内容は良く洗練されていて、参加して良かった。

 傾聴とは、相手の立場をよく理解して、真剣に聴く態度を観て相手の心を開かせることを学んだ。真剣に聴く態度とは、アイコンタクトが一番重要だと感じた。アイコンタクトだけでも充分に心を通わせる経験を、十余年の中国滞在生活で、言葉の通じない異国で経験した。

 未だ盲目の人と真剣に話した経験が無いが、やはり、相手は自分を観ることが出来ないが、こちらが相手を真剣に観ていることは通じるのだと思う。その時は思わず、相手の手に触れ、言葉の響きに相手を思う感情が表現され、相手と意思疎通ができるのでは、と思う。
アンマ・ジャパン

 マザーテレサの言葉で「愛の反対は無視」と言ってる。インドで今、最も尊敬され、先日も来日した、世界中の人々からアンマ(お母さん)と慕われる、マーター・アムリターナーンダマイー・デーブイは、会場の数万の参加者を、ただ優しい思いで、抱きしめる行為で、抱かれた人は感激の涙が溢れていた。
 今回の傾聴ボランテイアでは、多くの出会いが有った。30年振りの再会、末期癌患者へのケアーに取組んでる方、94歳のおばあさんから元気を貰った。おばあさんと話す内、私の保原の友人、静岡の友人と縁が有る方と知り、驚いた。最近、毎日、多くの出会いが有り、新鮮で、感謝してる。

 縁を頂き、更に絆に発展させ、更に、絆を強固にするには、相手を常に思い、その思いを態度に表す努力が大切と感じ、今日、南京の中国人旧友にメールした。又、3年前に縁を貰った友人と明後日、会う約束をした。その時、南京で知り合った日本人と同席し、両者の発展の為、紹介する予定だ。

2011年11月15日火曜日

 以前のブログでも記載したが、3・11の後、真剣に今の自分の存在を強く意識するように成った。

 昨日のブログで中津川渓谷での涙が溢れたことを書いたが。
今晩、宅急便が届いた。従兄からの荷物で、何かな、送って来る意味が
解らないまま、開封したら、手紙とカメラ、フイルム、東京オリンピック記念メダルが出てきた。彼は2年前に癌で大手術をして、今、闘病生活を送ってる。彼は写真撮影業界では、それなりに有名な方だが、私の仲間との毎年の「絵と戯れる会」発表会に時々、賛助出品で、国内外の各地で撮った写真を持参してくれた。昨年の発表会には来福し、一緒に福島市が一望できる温泉露天風呂で体を休めた。

 7年前に父は多くの絵画作品を残して他界したが、その作品もいずれは、風化し、原形を留めないだろう。中津川渓谷での親友、父の記憶、話題は今でも、仲間、家族に語り継がれて、皆を和ましている。
人間は2度死ぬと言われている。一度は肉体的、二度目は記憶、話題から消滅する時と言われてる。

 今、私は健康な体、精神で生かされている。この事実を真剣に見つめ、自分(体)を大切にし、生かされてる時間を日野原さんが言ってる、回りの人への時間に生かされたら、素晴らしいと思ってる。
十余年の中国での仕事、生活を終え、3年前に帰国したが、3・11に遭遇し、帰国させられたのは”神、天の計らい”と思うように成った。単身中国在任中に3.11が

有ったら、家族の事が心配で、仕事が手に着かない状態だったはずだ。
 帰国後、地域社会活動、ボランテイア活動に自ら発信して、活動させて頂いているが、多くの新たな出会いが有り、驚きと同時に感謝してる。先日は傾聴ボランテイアで近くの特別養護老人ホームへ行ったが、94歳のおばあさんから多くのヒントを頂いた。ホーム入所後、親戚からの毎月送付されるニューモラル小雑誌が手に入らないとお聞きしたので、来月からお届させて頂く。

 目の前の事象は刻々と変化、流されて行くが、その偶然の遭遇(人、自然、他)に感動し、何らかの意味を見出し、感謝することが出来れば、瞬間、々が輝くのではと、思う今日この頃だ。
 

日野原重明の名言集


人間にとって最も大切なのは、

命の長さだと思っている人は多い。


しかし、私が出会った人を振り返ってみて、

その人の命が素晴らしい命だと思える人においては、

ごく少数の例外はあるにせよ、

命の長さはあまり問題ではない。




人間の夢見る幸福というのは、

往々にして、貧乏するとか、仕事に失敗するとか、

あるいは病気にかかるということによって、

一瞬にして不幸に変わってしまうような、

儚いものである。


病のなかにも心の幸福を得るためには、

どうしたらよいかということを、

考えなくてはならない。




生きがいとは、

自分を徹底的に大事にすることから始まる。




私たちの身体は土でできており、

身体は早晩、土に還る。

私たちは、この土の器の中に、

はかりしれない宝を入れることが出来る。


私たちの寿命は、

土の身体に何を容れるかを模索することで費やされる。


器は器のためにあるのではなく、

中に何ものかを容れるためにあるからである。




鳥は飛び方を変えることは出来ない。

動物は這い方、走り方を変えることは出来ない。

しかし、人間は生き方を変えることが出来る。




何事も、今ある規則のとおりにやっていたのでは進歩はない。

規則を破るようなことをやらないと、現状はなかなか変わらない。

規則を破ったとしても、皆が応援するような破り方をすればよい。

そうすれば、新しい良い規則がずっと早く出来る。




これまでの教育は、出来あがったデータを記憶させる教育であった。

困難な問題にぶつかったときに、

問題解決が出来るような能力を与えられていない。


本当に学ぶべきなのは、

問題とどう取り組むか、どういう戦略を立てるべきかということである。

学校を出てからも自分で出来るような頭の仕組みを作る。

そして、その仕組みに従って生活をし、行動することが必要なのである。




自分のためにでなく、人のために生きようとするとき、

その人は、もはや孤独ではない。




なんと言っても、人が人に与える最高のものは、

心である。


他者のための「思い」と「行動」に費やした時間、

人とともにどれだけの時間を分けあったかによって、

真の人間としての証がなされる。




自分の命がなくなるということは、

自分の命を他の人の命の中に残していくことである。


自分に与えられた命を、

より大きな命の中に溶け込ませるために生きていくことこそ、

私たちが生きる究極の目的であり、

永遠の命につながることだと思う。




二十世紀の日本人は、

自分の中にないものを先進諸国からとりいれようとして忙しく働きすぎた。

そして、古来の日本人の内にあったよきもの、

奉仕する心、人情、よき伝統を忘れてしまった。




私たちに与えられた恵みを数えてみれば、

どんな逆境にあったとしても、

受けているものの方が、

与えるものよりも多いことに気付く。

受けた恵みを、どこかで返そうと考えたいものである。




自分以外のことに自分の時間を提供するためには、

周りの人間から孤立して、

自分だけの世界に閉じこもっていてはいけない。


人々とともに生きる世界に自分を置き、

周囲がいま何を必要としているのか、

自分には何ができるのかを絶えず考えながら、

毎日の生活を送る必要がある。




多くの人々は自分の財産や名声や地位を得るために全力投球している。

それなのに、財産やお金よりも大切な、

自分の命のために全力投球している人は少ない。


なぜ、その大切な命のために、

時間と財産を提供しないのか、

そうして安全に確保された命を思いきり有効に使おうとしないのか。

自分の命を自分で格調高く保つための勉強を、

めいめいがもっとしなければならない。




老人のケアは苦労も多い。

しかし、いつの日にかあなたも、

あなたが老人にしたようなやり方で、

ケアされる日が必ず来るのである。

■ 日野原重明の名言集2


人間が人生において経験した喜びと、

悩みや悲しみを、その生涯の終りに秤にかけると、

どちらが重いだろうか。


多くの人の秤は、

悩みや悲しみのほうに傾くことが多いのではないか。




人間が本当に自由になる時代が、

人生の最後にくる。




残された日々、まだ行ったことのないところに

行ってみようという計画もあると思う。

しかし何より大切なのは、生きることについて、

これまで以上の「深さ」を求めることではないだろうか。




完全に健康でなければよく生きることはできない、

立派なことはできないと思いこんでしまうことは危険である。




老いた身の一番の不幸は孤独であり、

積極的に生きる方向と目標がともに定かでないことである。

この孤独は、老いた人間を悲しく沈没させてしまう。




未知の世界に自ら飛び込んで、

やったことのないことをやることによって、

使ったことのない脳が働き出す。




最期に自分の生涯を顧みて、

自らが生まれてこうなったことは意味があると考えられるように、

今日を生きることである。




外科手術や化学療法の発達した今日でもなお、

最も大切な治療法の一つは、

キリストの時代のごとく、

「言葉による癒し」なのである。




文化は命を愛するものである。

命を傷つけるものは、文化でも文明でもない。




心の良い習慣というのは表情やしぐさにあらわれる。

人の顔つきも習慣なのです。




人は主義や主張より前に、人間であることを必要とする。

人間の本質的なものとしての人間性を踏まえての、

主義、主張でなければならない。




よき眼と耳、暖かい手と配慮の心、

しみ込むような言葉を持ち、患者と家族に接したい。




どんな困難に直面しても、

「ここから始まるのだ」ととらえ直すことができれば、

私たちはかならず前進できます。




自分を相手に置き換える想像力を、

身につけたいものである。




人は最後の瞬間まで、

生きる希望に支えられるべきなのです。

日野原重明の名言集3


誰しも幸福を望みますが、

それを実感することにおいてはきわめて鈍感です。




生きていることの意味は自分で探し勝ちとるものです。

それがつまり生きがいにつながります。




人間の体には3万6000もの遺伝子がある。

その多くが使われないままなんです。


それはあまりにもったいない。


違った環境に身を置けば、うちに秘めた未開発の良き遺伝子が、

思わぬ花を咲かせるかもしれない。


人生とは未知の自分に挑戦することだよ。




人のために自分を捧げる喜びを知っている人を、

プロと言います。




人生には無駄というものはないもので、

しかし、後にならないと、

その意味がわからないということがたくさんあるのです。


つらいことでも苦しいことでも、

「体験」したことは、間違いなくその人の強みになります。




習慣に早くから配慮した者は、

おそらく人生の実りも大きい。




年齢は勝ち負けではありません。

謙虚に、そして存分に味わえばよいのです。




ビジョンは大きいほうがいい。

たとえ自分が実現できなくても、

バトンタッチすればいいのですから。




きりのない欲望が、

あなたをしあわせから遠ざけます。


 

 先日、茨城から妻の弟が紅葉を観に、来福、我が家へ訪れた。一緒に高湯の玉子湯の露天風呂に行った。露天風呂は数か所有り、見知らぬ叔母様二人は、タオルだけで前を隠し、露天を渡り歩いていて、驚いた。性を意識しなくなり、中性と成るのは何歳から?年齢に関係無い?この温泉は白濁色で、体が温まる。




 現在は復興イベントで、吾妻スカイライン、レークラインが無料なので、景色を楽しみながら、米沢経由で保原に戻った。途中、中津川渓谷の茶屋で初蕎麦を食べ、



渓谷入口の鮮やかな紅葉前でシャッターを押した。渓谷まで、急な階段を下って行ったが、昨年、「絵と戯れる会」のスケッチをここで、仲間と楽しんだが、大親友のその人は数ケ月後に、病死した。いろいろと思い出され、涙が溢れて来た。

 その晩、妻の弟と我が家で大いに杯を傾けながら、楽しんだ。彼は翌朝、早く西吾妻山登山で、出かけた。

2011年10月29日土曜日

伊達市市民ホール建設に向けて」
伊達市は5町合併し、5周年を迎えた記念事業で、5町一体の思いを込めたシンボルモニュメントの市民ホールの建設を検討し始めた。

 4年前に中国での10余年の生活、仕事を完遂して定年帰国し、何か伊達市、保原町に貢献出来ないかの思いから、自らアプローチして、いろいろな活動に参画させて頂いている。中国でも中国人を始め、多くの友人ができたが、帰国後も新たな多くの友人と交流してる。

 伊達市の公募に応募して採用され、建設検討委員会のメンバーとして、中国での経験を提案させて頂いている。メンバーの中で公募参加は私一人だが、他の20名程の方々は、各界の会長さん達のそうそうたる集まりで、それぞれ経験が豊富で、ご意見は的を得てますが、個性(自らの立場)が良く出てる意見です。

 今回の第3回集まりは、先進地施設視察で、皆様と郡山ユラックス熱海、南会津町文化ホールの視察でしたが、このような市民の希望するホール建設は単なる市民自らの利益のみを優先すると、失敗するのではないかと反省、実感させられた。

 市民が希望する施設を建設するのは、初期目的としては、その通りだが、多大なる税金の投資での建設は、市民のみならず、県、国、広く世界へ貢献できる施設建設が出来たら素晴らしいと思う。

 その為には何処にでも有るような施設では無く、伊達市だから出来る、他から観ても、なかなか特色のある、利用したい、と思わせる施設建設が必要だ。

 世界全体からの観点から見れば、自然破壊(CO2問題)、少子高齢化、常に何処かの国では戦争状態、平和、安全が懸念され、生き方の多様化、生きがいの損失、失業率の高騰、経済の不安定である。

 しかし、今回の3.11大震災で、世界から注目された日本、日本人の原点を思い起こし、それを自然豊かな伊達市から発信出来るような施設が必要だ。自然に優しく、高齢者、子供に優しい、自然災害に強い、明るく楽しい夢が描ける希望の施設が欲しい。

 以上の思い、コンセプトをどのように具現化させるかは、今後、自ら提案し、皆様のご意見を聞いて行きたいと思っております。

10月22日(土)ガンバッペ福島”絆”講演会
大成功に終了致しました。応援頂きました、皆様に御礼を申し上げます。

 毎年、この講演会は開催されてますが、今回、始めて保原高校の生徒さん達とのコラボでしたが、若さのパワーに大きな勇気を貰いました。参加者のある方は感動で涙が溢れて来たと、話されてました。

 ”絆、元気”の開催目的が達成できましたのは、生徒さん達の熱意溢れる吹奏楽、合唱、避難者を思うガレキ絵、書道作品でした。

 壇上の大きな「勇気」の作品は、その前での演奏をより引き立て、会場と一体となる”絆”が演出され、深く力強い絆が生まれました。

 生徒さん達80名を含め、250名の参加者が熱心に”人間の絆”テーマの講演を拝聴長し、演奏、他を、楽しみました。高子に有る、生涯学習センターから、飲料水の支援物資、81歳の方が避難者へ少しでも、お役に立ちたいとの思いで、1本、1本、丁寧に心を込めた手作りの”孫の手”100本も提供されました。会場の皆様に可愛らしいハンケチもプレゼントされました。

 以前もこの講演開催のお手伝いをしましたが、今回は保原高校校長、教頭、部活顧問の先生と何度か打合せを行いましたが、学校組織は私が経験した民間企業とは異なる、風土が有り、戸惑う場面も有りましたが、皆、生徒さん達の事を真剣に考えておられることを実感しました。我々30数名のスタッフもそれぞれの担当を喜びを持ちながら、動き回ってました。

 生徒さん達は気持ちの良い挨拶で、楽器の運搬、作品展示、会場の椅子並べ、後片付け等、はつらつと自然な行動で、我々
スタッフを感動させました。約2ケ月の開催準備で、当日雨天の場合、他いろいろと気配りをしながら進め、又、飯館村、浪江町からの避難者の仮設住宅へ講演会のご案内訪問等、スタッフは大いに苦労しましたが、大成功に開催出来たことへの感謝と安堵感を味わっている今日この頃です。

 伊達市は放射能汚染、風評等で、まだまだ落ち着けませんが、今回の感動、”絆”を大切に、前に向かって進みたいと思っております。皆様、本当にありがとうございました。


2011年10月20日木曜日

 

 昨晩、伊達市の「傾聴ボランテイア講座」の第一回を受講した。全5回の講座である。
”聴”とは耳+目+心

 受講者24名中、私がお誘いした人を含めて、男性は3人だった。
何故、このような場には男性が少ないかは、後のブログで考えたいと思う。

 中国単身生活10余年を終え、帰国後、家族の居る、福島で
3.11の大震災に見舞われた。
幸いに私は大きな震災を受けず、生かされてる。
これは偶然の成せる業か?天の計らいか?

 多くの方が亡くなり、被災地では生存者でも避難生活を強いられている。
前回の「ボランテイア基礎講座」の終了式後、帰宅すると大震災に遭遇した。
震災後、いろいろなボランテイア活動をさせて頂いているが、

 生かされてる時間を単に怠惰に過ぎ去ることは、亡く成った方、避難者、私の生を授けた両親にすまないと強く思い、出来ることから、時間を生かそうと考えてる。(日野原重明さんが100歳の
記念番組で、子供達に「生きてるとは何ですか?」「それは、昨日でもなく、明日でもない、今の時間を使える事だよ」と話されていた)

 今回の受講の動機はボランテイアする上での知識習得ではなく、
”人間”の字の意味する、人間存在の基本である、
人と人との間のコミュニュケーション
(広くコミュニテーの形成。放射能除染後、単独で村に戻っても人は生きていけない。
隣近所、商店、他の社会が一体と成って、始めて生活ができる)の基本の
”傾聴”とは何かを知りたいと思ったのが動機である。

 人とは何かを知る上でのヒントが有ると感じた。
家族、友人、回りの人と素晴らしいコミュニュケーションが出来れば、
人生豊かになると感じた。

 第一回の講座内容は二人ずつのペアーで、それぞれ、質問役、聴き役で実験を行った。
実験条件は3種で(①目を合せない、頷かない、返事をしない、②目を合せて頷くだけ、
③目を合せ、頷き、返事をする)行ったが、①では難聴者、無感情者に話しかけてる様で、
コミュニュケーションが成立せず、一方通行で、質問の気力が失せ、結果、無口の暗い、
沈んだムードと成った。

 私は中国赴任当時、全く中国語が話せなかったが、
不充分ながらもコミュニュケーションができた。それは相手の目の動きを注視し、
自分の思いを目で表現することで、「目は口ほどにものを言う」の通り、
お互いの意志が疎通した経験が有る。

 次回の講座が楽しみである。

2011年10月19日水曜日


 今週末のイベント企画で、大勢の人の、いろいろな、ご意見を
纏め、皆が愉快にイベント開催ができるよう、心配りで、
少し疲れ気味だったが、心和む文章を見つけました。
人生の生き方の原点はシンプルに意味があった。

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和紙に自作の詩と絵を描き、心の風景を綴る
言の葉 墨彩画家・ひろはまかずとし氏の 心に残るお話

       「あなたの一だけをひたすら書きなさい」
       
       
       
            ひろはまかずとし(言の葉墨彩画家)
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 実は私は、子どもの頃から字が下手でした。
 普段書く字はもちろん、書道も絵も、
 通知表の評価ではいつも1か2でした。
 
 そういう人間がいま、言の葉墨彩画家として
 たくさんのファンの方々に恵まれ、一定の評価を得ています。
 書家や画家の方から一度も非難を浴びたこともなく、
 むしろそういう人たちの中にも私のファンの方がいます。
 
 この事実は、とても大きな教訓を含んでいると思うのです。



 中学時代のある日のことでした。
 
 国語の先生がお休みで、代わりに教頭先生が
 授業を受け持ってくださったことがありました。
 
 教頭先生は「きょうは習字をやろう」とおっしゃり、
 字の嫌いな私が憂鬱な思いを抱いていると、
 教頭先生は半紙を一人二十枚ずつ配り、
 
 
「横棒の一だけを書きなさい。
一に決まりはないから、何も考えずに
あなたの一だけをひたすら書きなさい」


 とおっしゃったのです。
 
 教頭先生は黙々と書き続けている生徒の周りを回り、
 各々の字を褒めては頭を撫でてくださいました。
 私はその時間中に三十回くらい頭を撫でられました。
 
 文字で褒められたことのない人間が、
 一という文字を書いただけで褒められた。
 私にとっては、目から鱗が落ちるような嬉しい体験でした。
 
 教頭先生は授業の終わりにこうおっしゃいました。
 
 
「文字はすべて、この一の組み合わせなんだよ。
 だから、素晴らしい一を書ける人間に
 素晴らしい字が書けないわけがない。

 
 書けないのは、格好いい字を書こうとか、
 見本通りに書こうと思うからで、
 一本一本思いを込め、愛を込めて書くだけで、
 自分にしか書けない素晴らしい字が出来上がる。

 
 このことは、人間の生活すべてに
 当てはまることなんだよ」
 
 
 その教頭先生の言葉がいまの私の創作活動、
 そして人生を支え続けてくれているといっても過言ではありません。

2011年10月18日火曜日

【公式】映画「一命」予告-HD高画質-

 友人から上映を聞かされた。別の友人のブログで映画の感想が有り、余りにも重たい内容で、貧しさの描写が自分の過去を思い出されたとあった。

 全くの予備知識無しで、観たが、子供が病死、夫婦、父親が自決(切腹)の凄まじい映画だった。
自決の刀は、真剣が質草で売られ、木刀で切腹した。
武士とは何か、運命の悪戯で、富める者、貧しき者を問いただし、形骸化された武士のシンボルのチョンマゲを切り落とし、踏みにじり、武士道とは何かを問う。
武士の面子を保たなければ、武家社会組織が崩壊する。面子の前では一命を投げ出す。

 外国人には到底理解できない、腹切り、単純な殺戮に観えるだろう。日本人は残虐な国民だと誤解を与えかねない、心配で有る。画像の芸術性は相当に高い、坂本龍一の音楽も効果的だが、3.11被災者へ勇気、元気を与えるには難解な内容である。家族の為、武士の誇りを守る為には一命を捨てる。
なんとも重たい気持ちで、映画館を出た。
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127分‎‎ - 任侠/時代劇‎
監督: 三池崇史 - 出演者: 笹野高史, 役所広司, 中村梅雀, 竹中直人, 満島ひかり, 新井浩文, 市川海老蔵, 瑛太, 青木崇高, 波岡一喜 -
1962年に『切腹』というタイトルで仲代達矢主演、小林正樹監督により映画化された滝口康彦の小説『異聞浪人記』を、三池崇史監督が再映画化。市川海老蔵と瑛太が、“切腹“という行為を通して武家社会という権力に立ち向かった寛永時代の浪人を熱演。ふたりのまっすぐな生き様を通して、世の中の不条理を問う。時代劇初の3D作品ということも話題。

音楽は坂本龍一が担当。主演は時代劇映画初出演となる『出口のない海』の市川海老蔵。

第64回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上映された[1]が、無冠に終わった[3])。

キャッチコピーは「いのちを懸けて、問う―― なぜ男は、切腹を願い出たのか――。世界を圧倒した衝撃の超大作。」。

2011年10月16日日曜日












保原秋祭り、太鼓競演
妻、愛犬2頭と近くの神社へ見に行った。子供達が可愛い!!
愛犬は太鼓の響きに、最初は驚いていたが、女の子と楽しく遊んでいた。

2011年10月11日火曜日

Tsunami Damaged Junior High, Addresses at a Graduation Ceremony (English...


ニュースウオッチ9 “涙が止まらなかった”広がる感動 15歳の答辞 「天を恨まず」
平成22年度の文部科学白書に、東日本大震災で被災したある中学3年生の卒業式での答辞が全文掲載されました。彼の言葉は全国の人々を勇気づけ、支援の輪が広がりつつあります。

本日は 未曾有の大震災の傷も 癒えないさなか 私たちのために 卒業式を挙行していただき ありがとうございます。
ちょうど 十日前の三月十二日。 春を思わせる暖かな日でした。

私たちは そのキラキラ光る日差しの中を 希望に胸を膨らませ、通いなれたこの学舎を 五十七名揃って 巣立つはずでした。

前日の十一日。 一足早く渡された、 思い出のたくさん詰まったアルバムを開き、 十数時間後の卒業式に   思いを馳せた友もいたことでしょう。

「東日本大震災」と名づけられる 天変地異が起こるとも知らずに・・・。 階上中学校といえば 「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、 十分な訓練もしていた 私たちでした。  

しかし、自然の猛威の前には、 人間の力は あまりにも無力で、 私たちから大切なものを 容赦なく奪っていきました。
  天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。  

つらくて、悔しくてたまりません。 時計の針は 十四時四十六分を指したままです。

でも、時は確実に流れています。 生かされた者として 顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、 正しく、たくましく生きていかなければなりません。  

命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。 しかし、 苦境にあっても、 天を恨まず、 運命に耐え、 助け合って生きていくことが、 これからの 私たちの使命です。 私たちは今、 それぞれの   新しい人生の一歩を踏み出します。

どこにいても、 何をしていようとも、 この地で、 仲間と共有した時を忘れず、 宝物として生きていきます。 後輩の皆さん、 階上中学校で過ごす 「あたりまえ」に思える日々や友達が、 いかに貴重なものかを考え、 いとおしんで過ごしてください。 先生方、 親身のご指導、ありがとうございました。

先生方が、 いかに私たちを思ってくださっていたか、 今になってよく分かります。  地域の皆さん、これまで様々な ご支援をいただき、ありがとうございました。

これからも よろしくお願いいたします。 お父さん、お母さん、家族の皆さん、 これから私たちが歩んでいく姿を 見守っていてください。 必ず、よき社会人になります。

私は、 この階上中学校の生徒で いられたことを誇りに思います。 最後に、 本当に、本当に、ありがとうございました。

平成二十三年三月二十二日 第六十四回卒業生代表  梶原 裕太


2011年10月10日月曜日

ガンバッペ福島 ”絆” 講演会  開催のご案内

 今回の未曾有の大震災で東北地方は大きな被害を受け、特に福島県は地震、津浪、原発事故放射線、風評被害等で毎日、不安な日々を暮らしております。

今回の講演会を通して、地元皆様の力強い絆を結束して、明るく元気な美しい福島を取り戻したいと思います。

                       


日時:平成23年10月22日(土) 14:00~16:00 

(受付は13:30から) 

会場:伊達市保原市民センター    伊達市保原町字宮下111

主催:保原モラロジー事務所 代表世話人 阿部澄子

                  伊達市保原町6丁目10 電話024-575-3186

            *公益財団法人モラロジー研究所の認可された事務所          

後援:伊達市教育委員会   

講演:講師  公益財団法人モラロジー研究所   社会教育講師   横尾昭男

(有)ことぶきや漬物設立。(有)壽屋寿香蔵設立。

社団法人東根市観光物産協会会長

演奏:保原高等学校 吹奏楽部、合唱部

展示:美術部、書道部

参加費:無料


プログラム

14:00~14:05  開会挨拶

14:05~14:10  来賓挨拶     

14:10~15:00  講演 「人間の絆」 横尾昭男

15:00~15:15  休憩、”絆”ふれあいタイム、生徒作品の鑑賞

15:15~15:55  演奏、合唱 保原高校吹奏楽部、合唱部

15:55~16:00  花束贈呈、閉会挨拶