2011年12月31日土曜日
日野原重明(聖路加国際病院名誉院長)
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僕はいま人生において最も大切だと思うことを、
次の世代の人に伝えていく活動を続けているんです。
僕の話を聞いた若い人たちが何かを感じ取ってくれて、
僕たちの頭を乗り越えて前進してくれたらいいなと。
その一つとして僕は二年前から二週間に一回は
小学校に出向いて、十歳の子どもを相手に
四十五分間の授業をやっています。
最初に校歌を歌ってもらいます。
前奏が始まると子どもたちの間に入って、
僕がタクトを振るの。
すると子どもたちは外から来た年配の先生が
僕らの歌を指揮してくれたというので、
心が一体になるんですね。
僕が一貫してテーマとしているのは命の尊さです。
難しい問題だからなかなか分からないけれどもね。
でも「自分が生きていると思っている人は手を挙げてごらん」
と言ったら、全員が挙げるんです。
「では命はどこにあるの」って質問すると、
心臓に手を当てて「ここにあります」と答える子がいます。
僕は聴診器を渡して隣同士で心臓の音を聞いてもらって、
このように話を続けるんです。
「心臓は確かに大切な臓器だけれども、
これは頭や手足に血液を送るポンプであり、命ではない。
命とは感じるもので、目には見えないんだ。
君たちね。
目には見えないけれども大切なものを考えてごらん。
空気見えるの? 酸素は? 風が見えるの?
でもその空気があるから僕たちは生きている。
このように本当に大切なものは
目には見えないんだよ」と。
それから僕が言うのは
「命はなぜ目に見えないか。
それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。
死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまう。
どうか一度しかない自分の時間、命をどのように使うか
しっかり考えながら生きていってほしい。
さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために
使うことを学んでほしい」
ということです。
僕の授業を聞いた小学生からある時、手紙が届きましてね。
そこには
「寿命という大きな空間の中に、
自分の瞬間瞬間をどう入れるかが
私たちの仕事ですね」
と書かれていた。
十歳の子どもというのは、もう大人なんですよ。
あらゆることをピーンと感じる感性を持っているんです。
僕自身のことを振り返っても、
十歳の時におばあちゃんの死に接して、
人間の死というものが分かりました。
子どもたちに命の大切さを語り続けたいと思うのもそのためです。
2011年12月14日水曜日
18歳で聴力も失い、全盲ろうになった福島智氏。
具体的な他者に対して何ができるかということです。」
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「人生における“問い”」
福島智(東京大学先端科学技術研究センター教授)
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私が思うに「修業」というのは、
何らかの苦悩を伴いながら自分を
高みに連れていこうとする営みのこと。
ビジネスでも、学問でも、お寺の勤行なんかでも
そうかもしれない。
しんどいことはしんどいけれど、
そのしんどいことを通して別の喜び、
別の景色が見えてくるということだと思います。
私自身は障害を持ったほうがよかった、
などと単純には言いません。
ただ、たまたま障害を持つという運命を
与えられたことによって、自分自身の人生について、
また障害を持つとは何なのか、
完全でない人間が存在するとはどういう意味なのか、
といったことを考えるきっかけを得ました。
誰かに質問されなくても、絶えずそのことは
心のどこかで考えていることになりますので。
そういう人生における「問い」が
私の心の中に刻まれたという点で、
自分にとってはプラスだったなと受け止めているんです。
完全な答えが出ることはないでしょうが、
重要なことは、問いがあって、
その問いについて考え続けることだと思います。
その部分的な答えとしては、おそらく人間の価値は
「具体的に何をするか」で決まるということ。
何をするかとは、何を話し、何を行うか、すなわち言動ですね。
私が盲ろう者になって指点字の通訳が始まりつつある時に、
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読んだんです。
その作品の中で、ある貴婦人が
「私は人類愛がとても強いのですが、
来世を信じることができません」
と悩みを打ち明ける。
それに対して長老は
「実行的な愛を積むことです。
自分の身近な人たちを、飽くことなく、
行動によって愛するよう努めてごらんなさい。
ただし実行的な愛は空想の愛に比べて、
怖くなるほど峻烈なものですよ」
と諭すんですが、私もそのとおりだなと思いました。
人間は博愛主義者にはすぐになれるんです。
「全人類のために」という言葉は誰にでも言うことができる。
だけどすぐそばにいる人の困っていることに対しては、
案外冷淡になるんですよね。
だからこそイエスは「汝の隣人を愛せ」と
言われたのではないかと思うんです。
(略)
医師も看護師も、その他様々な職業に就いている人たちも、
問われているのは世界中の人々に対してどうこうではなく、
具体的な他者に対して何ができるかということです。
2011年12月6日火曜日
過酷な運命を自らの生きる力へと変え、
盲ろう者として初の東大教授になるなど、
障害学の分野に新たな地平を拓いてきた氏の
お話をご紹介します。
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「苦悩は人生の肥やしとなる」
福島智(東京大学先端科学技術研究センター教授)
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【記者:ご自身では障害や苦悩の意味を
どのように捉えていますか】
障害を持ったことで、私は障害者のことを
少しは考えるようになりました。
やはり何がしかの関係を持ったこと、
広い意味での当事者になったことが
その大きなきっかけになりました。
また、自分にとっての苦悩は他者との
コミュニケーションが断絶されることでしたが、
これも実際に体験してみて初めて分かったことでした。
苦悩を体験することの凄さは、
苦悩の一つのパターンが理屈抜きに分かること。
もう一つは、苦悩する人たちが抱えているものを
想像しやすくなるということですね。
挫折や失敗をすることはしんどいし、
できるだけ避けたいけれど、
おそらくほとんどの人が人生のどこかでそれを経験する。
いくら避けようとしても必ず何がしかのものはやってくる。
だから来た時にね、
“これはこれで肥やしになる”
と思えばいいんですよ。
私が子供の時代には、まだ日本にも
たくさんあった肥溜めは、
臭いし皆が避けちゃうけれど、
それが肥やしとなって作物を育てた。
一見無駄なものや嫌われているものが、
実は凄く大切なことに繋がるということでしょう。
これは自然界の一つの法則だと思います。
* *
同じようなことをアウシュビッツの収容所を生き抜いた
フランクルが述べています。
彼はいつ死ぬかも分からないという極限状況の中でも、
苦悩には意味があると感じていたようですが、
それは彼一人だけの思いではなかった。
あの過酷な状況下で、自分以外の他者のために
心を砕く人がいたように、ぎりぎりの局面で
人間の本質の美しさが現れてくる時がある。
もちろんその逆に、本質的な残酷さや醜さを
見せることもありますが、
人間はその両方を持っているわけですよね。
おそらく彼は苦悩をどう受け止めるかというところに、
人の真価、人間としての本当の価値が
試されていると考えたんじゃないかと思うんです。
苦悩というフィルターをかけることで、
その人の本質が見えてくると。
フランクルの主張で最も共感を覚えるのは、
その人が何かを発明したり、
能力が優れているから価値があるということよりも、
その人が生きる上でどんな対応をするか。
苦悩や死やその他諸々の困難に
毅然と立ち向かうことが最高度の価値を持つ、
といった趣旨のことを述べている点です。
したがって、障害を持ったことや病気をしたこと自体に
意味があるのではなく、それをどう捉えるかということ。
身体的な機能不全を経験することも、
それ自体に大きな意味があるんじゃなく、
それを通してその人が自分自身や他者、
あるいは社会、あるいは生きるということを
どのように見るかが問われているのだと思います。
2011年11月19日土曜日
我が100坪の無農薬、有機肥料の家庭菜園で巨大な聖護院カブ(大根)が収獲された。
2011年11月16日水曜日
2011年11月15日火曜日
有ったら、家族の事が心配で、仕事が手に着かない状態だったはずだ。
日野原重明の名言集
人間にとって最も大切なのは、
命の長さだと思っている人は多い。
しかし、私が出会った人を振り返ってみて、
その人の命が素晴らしい命だと思える人においては、
ごく少数の例外はあるにせよ、
命の長さはあまり問題ではない。
人間の夢見る幸福というのは、
往々にして、貧乏するとか、仕事に失敗するとか、
あるいは病気にかかるということによって、
一瞬にして不幸に変わってしまうような、
儚いものである。
病のなかにも心の幸福を得るためには、
どうしたらよいかということを、
考えなくてはならない。
生きがいとは、
自分を徹底的に大事にすることから始まる。
私たちの身体は土でできており、
身体は早晩、土に還る。
私たちは、この土の器の中に、
はかりしれない宝を入れることが出来る。
私たちの寿命は、
土の身体に何を容れるかを模索することで費やされる。
器は器のためにあるのではなく、
中に何ものかを容れるためにあるからである。
鳥は飛び方を変えることは出来ない。
動物は這い方、走り方を変えることは出来ない。
しかし、人間は生き方を変えることが出来る。
何事も、今ある規則のとおりにやっていたのでは進歩はない。
規則を破るようなことをやらないと、現状はなかなか変わらない。
規則を破ったとしても、皆が応援するような破り方をすればよい。
そうすれば、新しい良い規則がずっと早く出来る。
これまでの教育は、出来あがったデータを記憶させる教育であった。
困難な問題にぶつかったときに、
問題解決が出来るような能力を与えられていない。
本当に学ぶべきなのは、
問題とどう取り組むか、どういう戦略を立てるべきかということである。
学校を出てからも自分で出来るような頭の仕組みを作る。
そして、その仕組みに従って生活をし、行動することが必要なのである。
自分のためにでなく、人のために生きようとするとき、
その人は、もはや孤独ではない。
なんと言っても、人が人に与える最高のものは、
心である。
他者のための「思い」と「行動」に費やした時間、
人とともにどれだけの時間を分けあったかによって、
真の人間としての証がなされる。
自分の命がなくなるということは、
自分の命を他の人の命の中に残していくことである。
自分に与えられた命を、
より大きな命の中に溶け込ませるために生きていくことこそ、
私たちが生きる究極の目的であり、
永遠の命につながることだと思う。
二十世紀の日本人は、
自分の中にないものを先進諸国からとりいれようとして忙しく働きすぎた。
そして、古来の日本人の内にあったよきもの、
奉仕する心、人情、よき伝統を忘れてしまった。
私たちに与えられた恵みを数えてみれば、
どんな逆境にあったとしても、
受けているものの方が、
与えるものよりも多いことに気付く。
受けた恵みを、どこかで返そうと考えたいものである。
自分以外のことに自分の時間を提供するためには、
周りの人間から孤立して、
自分だけの世界に閉じこもっていてはいけない。
人々とともに生きる世界に自分を置き、
周囲がいま何を必要としているのか、
自分には何ができるのかを絶えず考えながら、
毎日の生活を送る必要がある。
多くの人々は自分の財産や名声や地位を得るために全力投球している。
それなのに、財産やお金よりも大切な、
自分の命のために全力投球している人は少ない。
なぜ、その大切な命のために、
時間と財産を提供しないのか、
そうして安全に確保された命を思いきり有効に使おうとしないのか。
自分の命を自分で格調高く保つための勉強を、
めいめいがもっとしなければならない。
老人のケアは苦労も多い。
しかし、いつの日にかあなたも、
あなたが老人にしたようなやり方で、
ケアされる日が必ず来るのである。
■ 日野原重明の名言集2
人間が人生において経験した喜びと、
悩みや悲しみを、その生涯の終りに秤にかけると、
どちらが重いだろうか。
多くの人の秤は、
悩みや悲しみのほうに傾くことが多いのではないか。
人間が本当に自由になる時代が、
人生の最後にくる。
残された日々、まだ行ったことのないところに
行ってみようという計画もあると思う。
しかし何より大切なのは、生きることについて、
これまで以上の「深さ」を求めることではないだろうか。
完全に健康でなければよく生きることはできない、
立派なことはできないと思いこんでしまうことは危険である。
老いた身の一番の不幸は孤独であり、
積極的に生きる方向と目標がともに定かでないことである。
この孤独は、老いた人間を悲しく沈没させてしまう。
未知の世界に自ら飛び込んで、
やったことのないことをやることによって、
使ったことのない脳が働き出す。
最期に自分の生涯を顧みて、
自らが生まれてこうなったことは意味があると考えられるように、
今日を生きることである。
外科手術や化学療法の発達した今日でもなお、
最も大切な治療法の一つは、
キリストの時代のごとく、
「言葉による癒し」なのである。
文化は命を愛するものである。
命を傷つけるものは、文化でも文明でもない。
心の良い習慣というのは表情やしぐさにあらわれる。
人の顔つきも習慣なのです。
人は主義や主張より前に、人間であることを必要とする。
人間の本質的なものとしての人間性を踏まえての、
主義、主張でなければならない。
よき眼と耳、暖かい手と配慮の心、
しみ込むような言葉を持ち、患者と家族に接したい。
どんな困難に直面しても、
「ここから始まるのだ」ととらえ直すことができれば、
私たちはかならず前進できます。
自分を相手に置き換える想像力を、
身につけたいものである。
人は最後の瞬間まで、
生きる希望に支えられるべきなのです。
日野原重明の名言集3
誰しも幸福を望みますが、
それを実感することにおいてはきわめて鈍感です。
生きていることの意味は自分で探し勝ちとるものです。
それがつまり生きがいにつながります。
人間の体には3万6000もの遺伝子がある。
その多くが使われないままなんです。
それはあまりにもったいない。
違った環境に身を置けば、うちに秘めた未開発の良き遺伝子が、
思わぬ花を咲かせるかもしれない。
人生とは未知の自分に挑戦することだよ。
人のために自分を捧げる喜びを知っている人を、
プロと言います。
人生には無駄というものはないもので、
しかし、後にならないと、
その意味がわからないということがたくさんあるのです。
つらいことでも苦しいことでも、
「体験」したことは、間違いなくその人の強みになります。
習慣に早くから配慮した者は、
おそらく人生の実りも大きい。
年齢は勝ち負けではありません。
謙虚に、そして存分に味わえばよいのです。
ビジョンは大きいほうがいい。
たとえ自分が実現できなくても、
バトンタッチすればいいのですから。
きりのない欲望が、
あなたをしあわせから遠ざけます。
2011年10月29日土曜日
しかし、今回の3.11大震災で、世界から注目された日本、日本人の原点を思い起こし、それを自然豊かな伊達市から発信出来るような施設が必要だ。自然に優しく、高齢者、子供に優しい、自然災害に強い、明るく楽しい夢が描ける希望の施設が欲しい。
2011年10月20日木曜日
2011年10月19日水曜日
言の葉 墨彩画家・ひろはまかずとし氏の 心に残るお話
「あなたの一だけをひたすら書きなさい」
ひろはまかずとし(言の葉墨彩画家)
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実は私は、子どもの頃から字が下手でした。
普段書く字はもちろん、書道も絵も、
通知表の評価ではいつも1か2でした。
そういう人間がいま、言の葉墨彩画家として
たくさんのファンの方々に恵まれ、一定の評価を得ています。
書家や画家の方から一度も非難を浴びたこともなく、
むしろそういう人たちの中にも私のファンの方がいます。
この事実は、とても大きな教訓を含んでいると思うのです。
中学時代のある日のことでした。
国語の先生がお休みで、代わりに教頭先生が
授業を受け持ってくださったことがありました。
教頭先生は「きょうは習字をやろう」とおっしゃり、
字の嫌いな私が憂鬱な思いを抱いていると、
教頭先生は半紙を一人二十枚ずつ配り、
「横棒の一だけを書きなさい。
一に決まりはないから、何も考えずに
あなたの一だけをひたすら書きなさい」
とおっしゃったのです。
教頭先生は黙々と書き続けている生徒の周りを回り、
各々の字を褒めては頭を撫でてくださいました。
私はその時間中に三十回くらい頭を撫でられました。
文字で褒められたことのない人間が、
一という文字を書いただけで褒められた。
私にとっては、目から鱗が落ちるような嬉しい体験でした。
教頭先生は授業の終わりにこうおっしゃいました。
「文字はすべて、この一の組み合わせなんだよ。
だから、素晴らしい一を書ける人間に
素晴らしい字が書けないわけがない。
書けないのは、格好いい字を書こうとか、
見本通りに書こうと思うからで、
一本一本思いを込め、愛を込めて書くだけで、
自分にしか書けない素晴らしい字が出来上がる。
このことは、人間の生活すべてに
当てはまることなんだよ」
その教頭先生の言葉がいまの私の創作活動、
そして人生を支え続けてくれているといっても過言ではありません。
2011年10月18日火曜日
【公式】映画「一命」予告-HD高画質-
監督: 三池崇史 - 出演者: 笹野高史, 役所広司, 中村梅雀, 竹中直人, 満島ひかり, 新井浩文, 市川海老蔵, 瑛太, 青木崇高, 波岡一喜 -
音楽は坂本龍一が担当。主演は時代劇映画初出演となる『出口のない海』の市川海老蔵。
第64回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上映された[1]が、無冠に終わった[3])。
キャッチコピーは「いのちを懸けて、問う―― なぜ男は、切腹を願い出たのか――。世界を圧倒した衝撃の超大作。」。
2011年10月11日火曜日
Tsunami Damaged Junior High, Addresses at a Graduation Ceremony (English...
2011年10月10日月曜日
今回の講演会を通して、地元皆様の力強い絆を結束して、明るく元気な美しい福島を取り戻したいと思います。
日時:平成23年10月22日(土) 14:00~16:00
(受付は13:30から)
会場:伊達市保原市民センター 伊達市保原町字宮下111
主催:保原モラロジー事務所 代表世話人 阿部澄子
伊達市保原町6丁目10 電話024-575-3186
*公益財団法人モラロジー研究所の認可された事務所
後援:伊達市教育委員会
講演:講師 公益財団法人モラロジー研究所 社会教育講師 横尾昭男
(有)ことぶきや漬物設立。(有)壽屋寿香蔵設立。
社団法人東根市観光物産協会会長
演奏:保原高等学校 吹奏楽部、合唱部
展示:美術部、書道部
参加費:無料
プログラム
14:00~14:05 開会挨拶
14:05~14:10 来賓挨拶
14:10~15:00 講演 「人間の絆」 横尾昭男
15:00~15:15 休憩、”絆”ふれあいタイム、生徒作品の鑑賞
15:15~15:55 演奏、合唱 保原高校吹奏楽部、合唱部
15:55~16:00 花束贈呈、閉会挨拶