2011年5月8日日曜日

 昨日は近くのゴルフ練習場へ妻、息子と行った。帰りに大きな公園内に有る、両親が眠る墓参り、掃除をした。



 今日は末娘、妹夫妻が遊びに来た。両親の話し、震災時の話しで盛り上がった。
 愛犬は連日の客で大喜び。外路に犬、子供達の声が聞こえると、フェンスから顔を乗り出して眺めてる。疲れると気ままに居眠りしてる。
原発事故を一時忘れて、穏やかな時が流れてる。


 

 私の友人のブログに下記の言葉が有った。
『今日も山木屋(川俣町、計画的避難指示が出ている)へ行ってきました。とにかく「出掛けて行って、よく話を聞く」これが私にできる最大のボランティアです。
先日の天皇・皇后陛下のあのお姿が最大で最高のボランティアのお手本だと認識しました。』

 同感です。下記の文章を思い出しました。傾聴の力




「心眼で聴く」

      萬木甚一良(近江聖人中江藤樹記念元館長)

  何という現金なおばあさんだ。
 私が話を始めた途端に居眠りを始め、
 話が終わった途端に目を開けるとはとんでもない、
 と不愉快な思いがしたのですが、その時突然、
 常日頃から心の師としてお慕いしている
 故東井義雄先生の
 「おばあちゃん ありがとう」の詩を思い出したのです。

   こっくり
   こっくり
   いねむりしていらっしゃる
   おばあちゃん

   わたしの話でも
   聞いてやろうと思ってここまで来てくださったのに
   おばあちゃんのほしいものを
   わたしがようさしあげられないものだから
   こっくり
   こっくり
   いねむりをしていらっしゃる

   すみません
   それだのに おばあちゃん
   わたしは さっきまで
   聞いてくれたらいいのにと
   おばあちゃんをうらみました

   すみません
   気がついてみたら おばあちゃん
   私も せっかく この世に出していただきながら
   聞くために
   耳をいただきながら
   聞こうともせずに
   求めようともせずに
   目をあけたまま
   いねむりをしてきたのです

   おばあちゃんのいねむりは
   さっきからですが
   わたしは
   六十年も
   目をあけたまま
   いねむりを続けてきたのです
   そのことを おばあちゃん
   あなたは私に
   気づかせてくださいました

   おばあちゃん
   ありがとう
   如来さま
   すみません。

 
 本当の話の聴き方とは、何ごとにもとらわれずに、
 話者の話を心の眼でとらえ、心に刻み込むようにして聴くことが大切であるとのことを

 この老婦人のお姿から教えられた幸せな一日でありました。 

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