2011年7月30日土曜日


最近、少しナーバスに成り、先が見えなく成り、”どうしよう
かと悩み、ストレスを感じてる。大きなイベントを企画してるが、メインゲストを予定してたが、今や有名人と成り、スケジュール一杯の為、辞退されました。他のゲストを”どうしよう”かと悩んでいる。ストレスを克服する興味深い文章を見つけた。

 「そういえばあの時もできないと思ったけど、
  意外とできたよな。今回もできるんじゃないかな」

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「ストレスに負けない三つの感覚」
       
松崎一葉(筑波大学大学院医学系・教授)

各企業の精神産業医としてメンタルヘルス不全の治療や予防活動に取り組む一方、
宇宙航空研究開発機構(JAXA)で宇宙飛行士の健康管理と選抜などに当たっておられる 。
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 同じような環境で、同じような仕事内容で働いていても、
 病気になる人とならない人がいます。それはなぜでしょうか。

 うつ病に限らず、すべての疾病は
 環境要因と個体要因のバランスによります。
 
 例えばどんな屈強な男性でも、
 何日も寝ないで重労働に従事すれば
 体を壊してもおかしくはありません。
 
 それが環境要因です。
 
 
 一方で本人の資質に起因する病もあり、
 特に精神的な病の場合、その人のストレスの
 感じ方によるところも大きいでしょう。


 その昔、医療社会学者の
 アーロン・アントノフスキーが
 ユダヤの強制収容所から生還した人たちの
 健康調査を継続的に行ったところ、
 一部の人たちはとても長生きをしたことが分かりました。
 
 そしてその人たちは、共通して
 次の三つの特性を持っていたと報告しています。



一、有意味感
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 つらいこと、面白みを感じられないことに対しても、
 意味を見いだせる感覚。
 明日ガス室に送られるかもしれない中でも、
 自暴自棄にならずに、きょうの労働に精を出せること。


 我々のレベルに置き換えると、
 望まない部署に配属されても、
 「将来なんかの役に立つかもしれないし」と思って
 前向きに取り組めることといえます。



二、全体把握感
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 先を見通す力、とも置き換えられるかもしれません。
 つらいことに直面すると、
 人は一生それが続くように感じてしまいますが、
 「ひとまず夜がくればこの過酷な労働も終わりだ」とか、
 「いつかは戦争が終わって解放されることもあるだろう」
 と思えること。


 仕事に転じれば、例えば今週は忙しくて
 土日出勤になったとします。
 
 「なんて忙しいんだ」と思うのではなく、
 「今週は休めなかったけど、
  来週のこの辺は少し余裕ができるから、そこで休めるな」
  など、先を見て心の段取りが取れること。

 それはそのまま仕事の段取りに通じます。
 「来週のこの辺で忙しくなりそうなので、
  他部署からヘルプをお願いできませんか?」
 と、パニックになる前に助けの要請を出せることで、
 自分もチームも円滑に仕事が回せるのです。




三、経験的処理可能感
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 つらい強制労働など、最初はこんなことは
 絶対にできないと思っても、
 「そういえばあの時もできないと思ったけど、
  意外とできたよな。今回もできるんじゃないかな」
 と思えること。


 初めて手がける仕事でも、過去の経験から
 この程度まではできるはず、
 でもその先は未知のゾーンだと冷静に読める。
 
 ただ、その未知のゾーンも、
 あの時の仕事の経験を応用すればできるかなとか、
 あの人に手伝ってもらえそうだなと把握できる感覚です。

 また、大きくとらえれば、学生時代に努力して
 練習したら大会で優勝できたじゃないかとか、
 先生に無理だと言われたが、頑張って勉強したら
 志望校に合格できたから今回もできるのではないか、
 と思えることも、経験的処理可能感といえるでしょう。


 これら三つの感覚はSOC(Sense of Coherence)と呼ばれ、
 一般的にストレス対処能力を測る物差しとされていますが、
 簡単にいってしまえば、
 「きっとうまくいくに違いない」という
 情緒的余裕と経験に基づく楽観性ではないかと思います。


2011年7月27日水曜日

映画 福島フォーラム
8月11日(木)18:30~20:30
映画 18:30~19:15
トーク 19:15~20:30 
(トークのみの入場は不可、12:00から配布の整理券が必要)
入場料 1500円 
佐藤栄作:元福島県知事 著書「知事抹殺」、「福島原発の真実」
開沼博:東京大学大学院在籍中、著書:『「フクシマ」論 原子力村はなぜ生まれたのか』

作品写真

原発切抜帖

日々配られる新聞、 その情報から見えてくる原発大国・日本の姿

青林舎 1982 45分

製作:青林舎 監督:土本典昭 製作:山上徹二郎 企画:土本典昭 ナレーター:小沢昭一 音楽:高橋悠治と水牛楽団 撮影:渡辺重治

世界にもまれな実験映画

 1980年代の初めからヨーロッパに再燃した反核運動は1982年に日本に及び、急ピッチに反対署名運動などが広がった。しかし、それは核兵器を対象とするもので、原発批判とは結びついていなかった。  この作品はそうした状況に一石を投じつつ、原爆被爆体験国から原子力大国へかけ進む日本の戦後史を、新聞記事の早めくりで一息に見直す意図をもって映像化された。主役は手持ちのスクラップ(切抜)と古い新聞資料。「絵にならない」文字言語、新聞のメディアを下図につくりあげた世界にもまれな実験映画の試みでもある。

原子力大国化への道

 1945年8月7日付の広島の原爆第一報はベタ記事で「焼夷爆弾」とある。しかし、敗戦翌日の特報には「死に至る放射能障害まで研究済」。核については最初から敵味方問わず秘密にされてきた事実がここにある。  1961年のアメリカの原子力発電所内での事故、ビキニの実験と第五福龍丸乗組員の被曝。実験後は島に住めず、当時生まれた子供は27年後白血病で死亡。1979年のアメリカ・スリーマイル原発事故や1981年の日本・敦賀原発事故などのパニック。原発ジプシーの手仕事で拭われる廃液。原発労働者のガンや白血病が公認の職業病となったカナダのニュース。原子力船「むつ」の放射線もれとその対策としてのヨウ素入りメシ団子作戦、中性子防止のペレット詰めの古靴下作戦の報道。海洋投棄に猛反発する太平洋のベラウの人びと…。  見落とされがちな小さなベタ記事もクローズアップされ束ねられると、そこに日本の原子力大国化への道がはっきり記されている。

 先日、ボランテイアお手伝いを了承してた、少年教室の「夏の裏磐梯を探検しよう」の役割詳細が郵便で届いた。小学生の夏休みを利用したイベントだ。今、私の住む町は放射線汚染で、子供達は屋外でのびのびと遊べない状況で、ストレスが溜まってる。

 昨日は「ガンバッペ福島 絆」講演会の開催準備で町内の高校校長を訪問して、生徒達の出演、作品発表、他で元気の出る絆イベントの相談をした。
素晴らしい校長だった。校舎が震災で使用出来なくなり、体育館等で授業してたが、クーラーも無く、猛暑の中の授業で大変だったそうだが、校長に案内頂き、出来たばかりの学校内の仮設校舎に生徒達は移動し、冷房の有る快適環境で授業を開始し、生徒達は明るく大きな声で、我々に挨拶していた。頼もしい、清々しい風が吹き抜けた。

 何をすれば良いか、悩む浪費する時間が有れば、行動せよ!
面白い文章を下記、見つけました。


「兄・小林秀雄から学んだこと」
       

高見澤潤子(劇作家)
        
子どものころから兄・小林秀雄は、
私には尊敬すべき存在だった。

私は兄から多くのことを教えられた。

しかし、私があんまり知らないことが多すぎて
恥ずかしいといったとき、


「何ももの知りにならなくてもいい」


といってくれて、


「学者はknowledgeだけあって、wisdomがないから駄目だ」


といったことがある。

人間は生きていくためにはもちろん
学問、知識(knowledge)は必要である。

しかし、物事をよく判断し、よく処理する心の動き、
賢さというようなもの、生きていく知恵(wisdom)は、
それ以上に大切であることを、兄はいうのである。

兄は理論よりも行動を重視した。
何かせずにはいられないという気持ちは、
愛情とか尊敬からおこるものである。


頭で考えているだけでは、
そういう気持ちにはなかなかなれない。

愛情をもって対象物を本当に理解しなければ、
実行することはできない。


知ることは行うことだ、と兄はいっていたし、

「実行という行為には、
 いつでも理論より豊かな何かが含まれている。
現実を重んじる人というよりは、
現実性を敬う心がある」



というようなこともいっていた。


私たちはあまりにも観念的になり、抽象的になり
理論的になっている。

理屈ばかりいって、実行しない者は多い。
現実を大切にしないからである。

実行するのは難しいことなのだが、
具体的にものをいうよりも、抽象的にいった方が
深みがあるように思っているからである。

しかし目の前に現れている現実、
具体のほうが大事なのである。

私が自分の結婚問題について、
手紙で兄に相談したとき、兄は長い返事をくれた。

その中にこういう言葉があった。


「人間が人間の真のよさだとか悪さだとか
 わかる迄には大変な苦労が要るものだ。
 
 人間を眺める時、その人間の頭にある思想を
 決して見てはならぬ。それは思想だ。人間じゃない。

 その中によさも悪さもあるものでない。
 大体、アリストテレスの言ったように、
 人生の目的は決してある独立した
 観念の裡(うち)にはないものだ。

 人間の幸不幸を定める生活様式の裡にあるのである、
 いい生活様式を得れば人間はそれでいい」



兄は何も知らない私に人間の見方と、
人生の幸福というものを教えてくれた。

人間は頭より情緒、心の優しさが大切で、
人間をみるというのは、実生活の具体的なものを、
しっかりみることである。


2011年7月23日土曜日

【被災地情報】福島・南相馬市 詩人が見た故郷の惨状


 私が住む伊達市保原町の高校教論の和合亮一さんの詩は心をゆさぶり、忘れていた心の奥底の沈殿物を浮き上がらせ、感動の溢れる涙と共に、我が表層に噴き上がらせた。勇気をありがとう!!
  • http://togetter.com/li/117615

    福島市在住の詩人で、中原中也賞受賞者の和合亮一さん(42)が、インターネット上のツイッターで東日本大震災の状況を発信している。140文字以内の投稿はこれまでに約650。心を揺さぶる「つぶやき」に、多くの人たちが呼応している。  和合さんは福島県立保原高校(同県伊達市)の国語教師。地震が起きた11日は同校で入学試験の判定会議中だった。教師になって初めての赴任先は県沿岸部の南相馬市にある相馬農業高校。それだけに地震、津波、原発事故に襲われた浜通り地方への思いが人一倍強い。
     「何か、言葉を発することで役に立てることはないか」。「詩の礫(つぶて)」と命名し、16日に最初の約40作品を載せた。《放射能が降っています。静かな静かな夜です》《この震災は何を私たちに教えたいのか。教えたいものなぞ無いのなら、なおさら何を信じれば良いのか》《行き着くところは涙しかありません。私は作品を修羅のように書きたいと思います》  翌朝、和合さんのツイッターをフォローする人は500人ほどに。さらに投稿すると次々と増え、28日時点で約4500人になった。  読んだ人からはすぐに反応がくる。「新宿で飲んでいたが、今、帰ってきて読んでいます」「テレビの情報ばかり見ていると不安になる。この詩を見てホッとした」「心が折れそうになっていたが、進むべき道が見えてきた」……。  「休みの日は1日20時間机に向かっていた。自分も書くことで気持ちが立ち直ってきた。多くの人がちゃんと読んでくれている。今は、やめられない」と和合さんは言う。

    • wago2828
      震災に遭いました。避難所に居ましたが、落ち着いたので、仕事をするために戻りました。みなさんにいろいろとご心配をおかけいたしました。励ましをありがとうございました。
    • wago2828
      本日で被災六日目になります。物の見方や考え方が変わりました。
    • wago2828
      行き着くところは涙しかありません。私は作品を修羅のように書きたいと思います。
    • wago2828
      放射能が降っています。静かな夜です。
    • wago2828
      ここまで私たちを痛めつける意味はあるのでしょうか。
    • wago2828
      ものみな全ての事象における意味などは、それらの事後に生ずるものなのでしょう。ならば「事後」そのものの意味とは、何か。そこに意味はあるのか。
    • wago2828
      この震災は何を私たちに教えたいのか。教えたいものなぞ無いのなら、なおさら何を信じれば良いのか。
    • wago2828
      放射能が降っています。静かな静かな夜です。
    • wago2828
      屋外から戻ったら、髪と手と顔を洗いなさいと教えられました。私たちには、それを洗う水など無いのです。
    • wago2828
      私が暮らした南相馬市に物資が届いていないそうです。南相馬市に入りたくないという理由だそうです。南相馬市を救って下さい。
    • wago2828
      中所さん、あたたかい励ましをありがとうございます! 全く油断の出来ない状態ですが、心と暮らしを立て直していけるようにしたいと思います。
    • wago2828
      あなたにとって故郷とは、どのようなものですか。私は故郷を捨てません。故郷は私の全てです。
    • wago2828
      放射線はただちに健康に異常が出る量では無いそうです。「ただちに」を裏返せば「やがては」になるのでしょうか。家族の健康が心配です。
    • Content from Twitter
    • wago2828
      そうかもしれませんね。物事と意味には明らかな境界がある。それは離反していると言っても良いかもしれません。
    • wago2828
      私が避暑地として気に入って、時折過ごしていた南三陸海岸に、一昨日、1000人の遺体が流れ着きました。
    • wago2828
      このことに意味を求めるとするならば、それは事実を正視しようとする、その一時の静けさに宿るものであり、それは意味ではなくむしろ無意味そのものの闇に近いのかもしれない。
    • wago2828
      今、これを書いている時に、また地鳴りがしました。揺れました。息を殺して、中腰になって、揺れを睨みつけてやりました。命のかけひきをしています。放射能の雨の中で、たった一人です。
    • wago2828
      あなたには大切な人がいますか。一瞬にして失われてしまうことがあるのだ…と少しでも考えるのなら、己の全存在を賭けて、世界に奪われてしまわない為の方法を考えるしかない。
    • wago2828
      世界は誕生と滅亡の両方を、意味とは離反した天体の精神力で支えて、やすやすと在り続けている。
    • wago2828
      私の大好きな高校の体育館が、身元不明者の死体安置所になっています。隣の高校も。
    • wago2828
      また地鳴りが鳴りました。今度は大きく揺れました。外に出ようと階下まで裸足で居りました。前の呟きの「身元不明…」あたりで、です。外に出ようたって、放射能が降っています。
    • wago2828
      気に入らなかったのかい? けっ、俺あ、どこまでもてめえをめちゃくちゃにしてやるぞ。
    • wago2828
      絶対安全神話はやはり、絶対ではありませんでした。大熊、広野、浪江、小高、原町。野、町、海。夜の6号線から見えた、発電所の明かり。
    • wago2828
      父と母に避難を申し出ましたが、両親は故郷を離れたくないと言いました。おまえたちだけで行け、と。私は両親を選びます。
    • wago2828
      家族は先に避難しました。子どもから電話がありました。父として、決断しなくてはいけないのか。
    • wago2828
      ところで腹が立つ。ものすごく、腹が立つ。
    • wago2828
      どんな理由があって命は生まれ、死にに行くのか。何の権利があって、誕生と死滅はあるのか。破壊と再生はもたらされるのか。
    • wago2828
      行方不明者は「行方不明者届け」が届けられて行方不明者になる。届けられず、行方不明者になれない行方不明者は行方不明者ではないのか。
    • wago2828
      スーパーに3時間並んだ。入れてもらって、みんなと奪い合うようにして品物を穫った。おばあちゃんが、勢いにのれずにしゃがみこんだ。糖尿病でめまいがしたと言った。のりまきと、白米と、ヨーグルトを取ってあげた。
    • wago2828
      おばあちゃんに尋ねた。「ご家族の方をお呼びしますか」。おばあちゃんは「一人暮らしなんだ」と教えてくれた。家まで送りましょうか。「家は近いんだ」