2011年7月15日金曜日

                 
福島日中文化交流会の集い

先日、古関裕爾記念館で定例の集まりが有り、参加しました。

 3月11日の大震災、原発の水素爆発で、17日に中国領事館が手配したバスで県内の中国人は一時、新潟県に避難し、その後、多くの中国人は母国に帰国しました。


 現在は多くの中国人が福島へ戻ってきております。会員の福島大学大学院の中国人留学生も福島に戻って来ました。彼女の言で「震災当日は余りの恐ろしさに、死ぬかと思いました。生きてることへの感謝を思い、自分の理想の道に進むべく日本に戻って来ました。内モンゴルの家族は貧しいので、奨学金を頂き、日本で勉強したい。宜しくお願い致します。」素晴らしい志を持った中国人若者です。

 私も中国在任中は内モンゴルへ2度、行きましたが、大草原、満天の星空、遊牧民族のパオに泊めてもらい、馬に乗り、草原を満喫しました。第二外国語で日本語を学ぶ学生も多く、
片言の日本語が話せます。信仰の相手は一般中国人家庭で良く見る、釈迦、観音、毛沢東の写真の代わりにジンギスカンの写真を祭ってました。大きな企業も無く、貧しい地帯でした。

 今回の大震災で、皆、それぞれの人生が大きく、本人の意思とは無関係に、転換させられました。私の以前、勤務してた伊達市保原町の会社の中国人友人は、現在、東京、大阪での新たな仕事探しをしており、福島を離れるそうだ。

 生かされていることに気づき、感謝し、毎日を明るい希望ある福島、日本復興へ思いを馳せ、出来るところから、行動を起こさねばと、再認識させられた会合でした。

 明るい明日をイメージさせてくれる、フルートー、ピアノの透き通る演奏に心を洗われ、生きる勇気を貰いました。

 後日、別の会合で現在の疲弊した福島をどのように復興させるかの歓談会の集まりで、友人の発言は力強いものが有りました。友人は自営業で「各、事業者は苦しい環境下で有るが、自ら犠牲を払い、一人でも多くの被災者を雇用する運動を展開したい。多くの若者が福島県を離れて行く現実に対して、少しでも踏み止まらせることが出来るのは我々ロートル経営者の責任。単なる自活の視点だけでは無く、明日の日本創り」

 先日のブログで記載したが、池上彰は被災地の子供達の授業で「明日の日本を創るのは、君達の世代」と言ってたが、子供達が自立できるまでの基本的環境を作るのは我々、団塊の世代の責任重大と気付かされました。

 今回の大震災で携帯電話が繋がらない等で、大混乱したが、それを救ったのがSNSの力だった。明日は保原町商工会主催のセミナー「Facebook活用術」を勉強に参加する予定だ。

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