2011年4月15日金曜日

4月15日(金)伊達市保原町 晴 20℃

 少し落ち着いたのでブログを再開する。
3月27日に千葉宅へ妻、愛犬2頭と行き、息子、娘、妹家族、中国時代の友人、東京の友人と再会し4月9日に福島の自宅に戻って来た。千葉へ向かう東北高速道路はガソリン、物資運搬車両を多く観たが、帰途では医師、看護師の緊急車両が多く有った。被災地の状況は刻々変化しており、ニーズに合せた支援が実施されてることを実感した。

 帰宅後、隣近所の状況を見て歩いたが、ガソリン、水道水、スーパーの食品等はほぼ潤沢に戻りつつ有ったが、強い余震が頻繁に起きており、地盤、建物が緩んだ所は
更に崩壊がすすんでおり、屋根瓦等の修復は人手が足りず、修復待ちの状態で有った。液状化現象の隆起、石灯篭の崩壊。家の近くの阿武隈急行は保原、梁川間は開通復旧してたが、保原、福島間は途中の瀬の上の橋が復旧しておらず、何時再開通か不明の状態で有る。東北新幹線は福島、東京間が今月中には開通の予定。

 新潟の従兄は以前の新潟地震で家が傾く経験をしており、有名な魚沼産のこしひかり、他の食糧を宅配便が再開したので送って来た。群馬の従兄は大規模農園を営んでおり、福島郡山のスーパーに出荷してるが一時、風評で出荷出来なかったが、現在は出荷可と成ったので、トマト、胡瓜、茄子、大根等を多く送って来た。感謝感激だ。

 伊達市社会福祉協議会にボランテイア状況を確認したが、保原の避難所にいた避難者は当初200名程いたが、順次、親戚他へ移住して現在、近くの柱沢避難所に10名程いるそうで、炊き出しの世話等をするので、後日連絡するので、支援を宜しくとのことだった。近くの教育センターへ従兄のトマトを1ケース持参して状況確認に行ったが、全国からの支援物資が多く保管され、毎日のように、岩手、宮城に運搬してるそうだ。今後、宿泊受入等を検討するそうで、その時、連絡するとのことだった。

 福島に帰宅後は丁度、ジャガ芋の植付け時期なので、之までは東京の子供達へ送付してたが、福島産は敬遠してるので、去年より少なく6Kのダンシャク、メークイン種芋を購入して、消毒乾燥して植え付けた。長葱、玉葱苗が草と一緒で発育に影響が有るので大量の移植だった。キャベツもこれから余り大きく育たないものを間引きした。くきだち、ほうれん草、ブロッコリー、キャベツを収獲した。

 昨日は近隣町の友人2人と飯坂温泉に改築した大衆浴場の波来湯温泉に行った。温泉脇には河が流れ情緒豊かな温泉街で、以前、仲間とスケッチの会等を行ったのを思い出した。以前は絹の仲買人、福島競馬の騎手等が疲れを癒す、芸者も多くいた、賑わい有る温泉街で有ったが、今は客足も少なくなり、いろいろな街起こしに取り組んでいる。

 今日は2ケ月毎に娘が勤務していた病院に定期検診に行ったが、薬が効いたのか、千葉でのんびりした為か、家庭菜園で猛烈に汗をかいた為か分からぬが、半年止めてたタバコの再開、あまりやらぬ晩酌のビールの量も増えたが、数値が良く成っており、医者も驚いていた。病は気からで、ストレスが最大の原因か?好きなことを適度にやるのが、健康の秘訣か?(今までもそうだったが)。

 病院の待合室で今朝の新聞を見てたら、福島県庁の友人が4月から上海福島出先機関の所長として赴任したが、風評で福島産の産物を中国人が敬遠してるので、それの対応で、同じビルの日系企業等の励ましで、福島産物宣伝のイベントを催してる写真が掲載されていた。今後、福島の復興はあらゆるアイデアで全県一丸の取り組みが必要と感じた。

 今月末までは好きなゴルフも自粛し、(練習場の囲いネットが崩壊し、再開の目途が立たず。近くのゴルフ場の被災も酷く、レストラン、風呂が使えず、スループレーでの再開)、ボランテイア活動に待機してる。来月末の「絵と戯れる会」発表会の製作に、なかなかキャンバスに向かえず、焦っている。友人の会社のダメージも大きく、今回は発表会参加見送りの連絡が有った。明日から画き始め無いと時間切れだ。




1 件のコメント:

  1. 昨日はありがとうございます。

    また波来湯行きましょう。あなたの友人より。

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