2011年3月7日月曜日

 昨日、保原町の中心で”つつこびき”を観ました。
「毎年3月第1日曜日に厳島神社で行われ、享保の大飢饉に苦しむ農民を救った、領主・松平出雲守道春公を称え、その年の豊作を占う祭りとして知られている。

 
つつこは、約800束のわらを使い祭礼前日に氏子たちが造りあげ、中には 2升のおこわを入れこれが引き合ううちに、"もち" に変わり、宮司の手によって参拝者に配られる。長さ3m,直径1.5m,重さ約800kで、このわらを持ち帰り神前に捧げると病人が絶え、農作物は豊作となり、養蚕は盛んになると言い伝えられています。寒風の中裸の男たちがつつこを引き合う勇壮な姿は、県の10大奇祭にも選ばれています。」

 長年、日本を離れてたので、ほぼ10年振りに観たが、寒中のふんどし一つの男達の雄姿は感動を与える。このような、神社仏閣の古来の祭りを、氏子始め、住民が守り伝えている、素晴らしい日本文化継承で有る。

 このような祭典に多くの人々が集まるのは、この日の為の常日頃からの仲間のコミュニケーションの絆が支えてる。”若連”、”ボランテイア消防隊”、”毎月の神事、仏事の氏子の集まり”、”太鼓、笛、踊の練習”、”農村部の互いに助け合う、結の集まり”等で有る。仲間は隣近所の幼児期から始まる、小学、中学、高校、等の友達の絆で有る。継続は力なり

 先日のNHKテレビ放送”無縁化社会”は10代の若年層からも始まり増加してる日本社会の危惧で有る。孤独で、社会との繋がりの無い人々が増加している。この保原町でも例外では無く、”つつこびき”に集まる人々の陰で、家に引きこもり、何らかの事情で家から出られない、社会との繋がりが無い人々。
 
 日本では世界に例の無い近所付き合い、連絡方法として”回覧板”を回す習慣がこの町でも有る。先日、私の知ってる60歳の男は、独身で近所付き合いが無く、毎日、酒浸りで有ったが、”回覧板”が回って来ないので、近所の人が彼の家を尋ねたら、死後3日位経って発見された。

 人間の生きる意味、目的は、人との繋がりで、生かされていることを感じ、感謝、恩返しの意識、行動、生活ではないかと、最近感じてます。病院ベッドの上で、身動き出来なくても、生かされてることの実感が有り、その人の回りへの眼差しが、感謝で微笑してれば、どんなに回りの人々は癒されることか。いろいろな条件、状態が想定され、簡単には述べられないが、”どんな場合でも受容””ありのままを受入れる”の考え方が、全ての行動の出発点かな?

 ”つつこびき 綱引く肌に 湯気立つ”

 

 

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