2011年3月22日火曜日


3月22日(火)曇り 気温8℃

福島市、伊達市の放射能測定数値は減少傾向に有り、数値
も人体には殆ど影響の無い数値なので、今後、異常値発生までは記載しない。












ガソリン供給 

 早朝、何時もの愛犬散歩時、近くのガソリンスタンドで給油整理券を店長が配布してたので、慌てて散歩は中止し、私、妻の2台分を貰った。3000円迄の給油だが、値上がりしており168円/Lだった。徐々に安定供給化か?









ボランテイア支援活動

 伊達市社会福祉協議会から昨晩、急遽、支援依頼が有り、会社OB仲間、その他友人にメールで呼びかけした。朝10時に元の勤務先のFIT富士通アイソテックに手弁当持参で6名参加した。
 
 桑折社会福祉協議会から聖光学院高校の野球部員、他、大多数が高校生の約50名が参加した。学生の多くは今回の津波被災地の南相馬出身で、多くが、被災し、帰る家が無く、寮生活をしている。市内矢の目のトラックターミナル倉庫から10t車で5台の搬入が有った。マットレス、布団、毛布の援助物資の荷降ろし、体育館内へのリレー方式で運搬、保管した。午後3時半に終了して解散した。明日は矢の目倉庫からの搬出準備で休止、明後日から搬入再開となった。物資は一時保管で、以後、福島東高校、他の避難所に再度搬出されます。

 学生達のパワーは凄く、次のトラック搬入までの空き時間はバスケットボールを楽しんでいた。我々伯父さん達は現役仲間と会社被災状況等の情報交換で体を休めた。昼食は学生達にFIT食堂からお握りが支給された。

 今回の物資援助の主管元の福島県の担当職員は私が現在、福島県地域経済復興の海外生産活動支援で情報交換してる職員(後で分って危惧だったが、彼とは私が中国南京で駐在勤務時代、JETRO上海に出向しており、私が南京日本商工クラブの事務局長を担当していた関係で面識が有った。彼は4月から海外出向と聞いた。)と同部門所属で知り合いで有った。奇遇で有る。今後は今回の担当者と連絡を取り合い、ボランテイア支援活動を続けて行きたい。

 今回でのボランテイア活動で、行政、民間の連携プレー体制が非常に危ういことを考えさせられた。
日本の世界に無い素晴らしい情報伝達方法として、伊達市でも機能してる、隣近所との回覧板が有る。今朝も伊達市長メッセージの災害対策が回覧されていた。

 今回の大震災では多くの避難者、被災者が出ており、これらの対策、生活安定化には長期化が予測される。行政、民間が一体と成って復興支援活動システムの早期の構築が必須で有る。このシステム構築が成されないと、避難者、被災者だけに止まらず、通常の行政サービスが手薄に成り、民衆全体への本来の生活に多大なる影響をもたらすと考える。この課題は一福島県、伊達市だけでは解決できず、今回の被災が無い、少ない地域を含めた国家全体の震災対策システムの再構築が急がれる。

詳細の報告書は別資料参照

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