2011年3月4日金曜日


 本日、伊達市のボランテイア基礎講座の第3回目を受講した。テーマは「高齢者疑似体験」で、高齢者と介助者の2人、1組で、それぞれを交互に体験した。ここでの高齢者は単なる年齢が高いの意味では無く、肉体的な体の動作、知覚範囲が狭まった状態を指している。

 この状態を器具(一式15万円と聞いて、余りの高額に驚いた)を利用して疑似体験した。両足首、両手首に重りを付け、手の指はガムテープを巻いて固定。
両足、両手はかろうじて曲がる程度のサポータ補強、強制的に猫背と成る器具。

 白内症の疑似体験をするため、ゴーグルのウインドウは黄色で、視界を極端に狭くする小窓と成っており、両耳には耳栓をした。杖をついて、介助を伴い障害物を置いた平面歩行、階段歩行した。いろいろな色で書かれた文字を読み取るが、黄色は極端に判別しずらい。

 このような、拘束状態での歩行で、一番重要な身体機能は視力、視野だと感じた。当たり前だが、歩行する為には、足を踏み出す場所の状態の確認、認識が必要だが、視力が無ければ、杖で手探りの触覚で感知するしかない。視野が狭く、猫背だと足元のみの狭い範囲の確認でしかないため、絶えず顔を上げて前方の確認が必要と成る。
 この様な状態のときに自らの不自由さを知る介助者の手の温もりは高齢者にどれほどの安心感を与えるかを実感できた。
 この様に視野が狭くなる障害を解決する眼鏡が開発されれば、高齢者の歩行困難は数段改善されるのではないかと感じた。視野が回復すれば、後は、身体の筋力衰え(今回の器具は全て筋力を疑似的に衰えさせる物で有った)に対する筋力upの効果的なリハビリが必要だが、既に多くの方法が実施されている。高齢者の自らの改善も必要だが、高齢者が生活する環境改善(バリアフリー等)も必要だが、行政との連携をどうするか?いろいろ課題が有る。

 ここで体験の意味が再確認できた。始め私は介助役を行ったが、相手の身体機能の不自由さが認識出来ないので、介助方法が良く解らなかった。器具を付けた疑似体験をすると、身体機能の不自由さの程度、内容が理解できた。

「物事を理解する、認識するとは何か?」
 書物等の読んで理解、絵画等の観て理解、音楽等の聴いて理解するとは、所謂、身体動作を伴なわないが、視覚、聴覚の情報を脳で、それまでの経験情報と比較処理して認識してることに成るが、身体動作を伴う動作認識は視覚、聴覚では理解が非常に困難で有る。

 例えば、ゴルフスイングの経験が無い人に、本、ビデオ等で説明しても、スイングとは何かは、なかなか理解できないだろう。実際にクラブを振れば、即、理解出来る。

 書物等の読んで理解するで、フォトリーデイングと言うのが有る。本の速読術で有る。この方法は意味が解らずとも、本を早く斜め読みし、脳にイメージ化し、何度も始めから繰返し、早く斜め読みする方法で理解が出来る。瞳の上から下への、瞳の物理的移動(身体動作)により、ゴルフスイングと同じく、脳が認識すると考えられる。もう少し詳しく記述しないと、意味不明かも?

 又、追体験と言う言葉が有るが、今回は身体不自由を器具で疑似的に体験するが、追体験はその人の心理状態、思想の変遷を知る上で有効な方法で有る。知りたい人の、幼児期からの大人に成る迄の足取りを実際にその現場に行き、出来るだけ、その人の当時の経験を情報に従い、忠実に辿ると、その人の思考変化過程が体験でき、今のその人を形成した歴史的要因、本質が見えてくる。

 今回、体験学習の素晴らしさを、身をもって理解出来た。今、学校では時間制約、安全方面からか、体験学習の時間が少ないように感じる。数学、他、全ての教科で教材を工夫すれば、全身で学習、五感で感知する体験学習が出来、素晴らしい理解、新たな創造へと導くことが出来ると確信する。

「介助、介護の基本」
 適切な施しをするためには、疑似体験学習が必須と感じた。相手の痒い所に手の届く施しは、言葉の説明、心情的な訴えでは、真に相手に安心した施しができない。

 

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